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玄奘

唐の僧で、7世紀前半に仏典を求めて陸路インドに往復した。

げんじょう、またはげんぞうとよむ。かの『西遊記』の主人公三蔵法師である。7世紀初めに現在の河南省に生まれた。ちょうど隋が倒れが建国した618年、17歳で長安に上り仏教の学ぶこととなった。しかし建国したばかりの唐の都にはまだ落ち着いて仏教を学ぶ環境が無く、戦乱の及んでいなかった四川に赴く。その後各地で仏教を学ぶが、飽き足らないものを感じ、ブッダの生国インドで直接仏典を学びたいという欲求が強くなる。当時、唐は個人が外国に出ることを禁じていたので、やむなく玄奘は秘密裏に長安を出発した。唐の太宗の貞観3年(629年)、玄奘26歳であった。昼間は隠れ、夜間に西を目指すという苦労をしながら唐域を抜け、高昌国、クチャなど西域を抜けて西トルキスタンに入り、タラス、サマルカンド、バーミヤンなどを通り、インドに達しガンダーラに入った。さらに北インドを旅して仏跡を尋ねた。そのころのインドは、ヴァルダナ朝のハルシャ王の時代で、仏教は保護されていたが、ヒンドゥー教も盛んになりつつあった。玄奘はナーランダ寺付属の学校(ナーランダー僧院)で5年間、仏典の研究を行った。帰路は多くの仏典を背負い、同じく中央アジア経由で645年に長安に帰った。16年にわたる大旅行であった。彼は長安の慈恩寺でインドの仏典の漢訳に従事した。その旅行は弟子たちがまとめた『大唐西域記』がある。後に元の時代にそれを種本にしておもしろく読み物にしたのが呉承恩の『西遊記』である。玄奘はインドから仏典をもたらし、法相宗を起こしたが、唐の仏教の隆盛は、天台宗・浄土教・密教・禅宗など中国独自の仏教展開によってもたらされた面がある。
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第3章2節 イ.唐の制度と文化