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イスラーム暦/ヒジュラ暦

西暦622年を元年とするイスラーム世界の現在まで続く暦。1年を354日とする太陰暦であるので、実際の季節とずれることが多く、太陽暦と併用されることが多い。

 西暦622年ムハンマドメッカからメディナ(ヤスリブ)へのヒジュラ(聖遷)の年を基点としたイスラーム教世界の暦法。ヒジュラ暦ともいい、第2代カリフのウマルの時に決められた。ヒジュラが行われたのは9月20日であったが、この年の巡礼月があけた日(7月16日)をイスラーム暦紀元元年1月1日とした。1日は日没から始まって次の日没まで。太陰暦であるので各月は新月の出る日を第1日とし、30日の月と29日の月を交互に設け、1年は354日となり、太陽暦よりも11日も短い。したがって太陽暦と違って季節と月が一致せず、毎年11日ずつずれることになる。1月から12月にはそれぞれアラビア語の月名が付けられている。

なぜ、太陰暦か

 太陰暦であるイスラーム暦を使うと、カレンダーが実際の季節からどんどん離れてしまう。そのため、古代中国の暦法などでは太陽暦と調節するために閏月を入れるなどの工夫を加えた太陰太陽暦が用いられるようになった。またエジプトに始まる太陽暦はローマ時代にユリウス暦として採り入れられ、グレゴリウス暦に改定されて以来、中国・日本でも使われるようになっている。それにもかかわらず、イスラーム世界では、現在も太陰暦であるヒジュラ暦が使われているのは何故か。それは、聖典『コーラン』に「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって月の数は十二であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」と定められているからである。
(引用)一説によれば、元々アラビアで使われていたカレンダーは年末に閏月を置く太陰太陽暦でした。神聖月である第12と第1の月の間に不吉な存在である閏月を挟むことを巡って議論が紛糾したとも、あるいは神聖月に戦いを仕掛けるタブーを正当化するために閏月を恣意的に入れることがあったとも言われています。いずれにせよ、預言者ムハンマドが生涯の最後に残した教えで「純粋な太陰暦を使わなければ過ちを招く」という趣旨のことばを述べた記録があり、暦を調整することが争いの火種になりかねないという認識が背景にあったとは言えそうです。<広瀨匠『天文の世界史』2017 集英社インターナショナル新書 p.43>

現代のイスラーム世界では

 現在でもイスラーム世界ではイスラーム暦が用いられており、1年の日数が違うので、西暦とは単純には換算出来ない。また、完全な太陰暦であるので実際の季節とずれてしまうので、特に農業では不便なことが多い。『コーラン』の教えは絶対とされながらも、世界各地に広がったイスラーム世界でヒジュラ暦だけのカレンダーで生活することは困難である。そこでイスラーム世界では暦を変更することはせず、実際にはヒジュラ暦とグレゴリオ暦の2つのカレンダーを併用している。
 なお、トルコ共和国ではイスラーム教が優勢だが、ケマル=アタチュルクのトルコ革命のときに、世俗主義政策の一環としてイスラーム暦を廃止して太陽暦(グレゴリウス暦)を採用した。<黒田壽郎編『イスラーム辞典』p.259 などによる> → ジャラーリー暦  授時暦

出題

東京大学 2007 第3問 問(1) (b)イスラーム教徒独自の暦が、他の暦と併用されることが多かった最大の理由は何か。2行以内で説明しなさい。

解答

早大商 2007 第1問 問I イスラーム暦の1年は何日か。次から選べ。
  1.354  2.356  3.358  4.360

解答

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書籍案内

広瀨匠
『天文の世界史』
2017 集英社インターナショナル新書