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マンジケルトの戦い

1071年、セルジューク朝がビザンツ帝国軍を破った戦い。

マラーズギルトの戦いとも言う。1055年にバグダードに入ったセルジューク朝は、さらに西へと勢力を広げ、第2代スルタンのアルプ=アルスラーンは、ビザンツ帝国領の小アジア(アナトリア)に侵入した。1071年、ビザンツ帝国ロマノス4世は大軍を率いて出兵したが、マンジケルト(マラーズギルド)の戦いでマムルーク兵を主力とするセルジューク軍に惨敗し、皇帝は捕虜となって奴隷の印の耳輪を付けられてスルタンの前に連れて行かれたという。

小アジアのトルコ化

 これによって小アジアのトルコ化が始まり、トルコ人の地方政権ルーム=セルジューク朝に支配され、さらにビザンツ領は浸食されてゆき、ビザンツ帝国のローマ教会への十字軍派遣要請の要因となる。なお、同じ1071年、ビザンツ帝国領の南イタリアでは最後の拠点バーリをノルマン人に奪われており、ビザンツ帝国は東西で領土を縮小させることになった。
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第6章2節 ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡