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マラーター戦争

1775~1818年の間のイギリスとマラーター同盟との3度に及ぶ戦争。イギリスの中部インド支配が成立した。

マラーター同盟とは、デカン高原一帯のヒンドゥー教徒の勢力であり、17世紀にシヴァージーによって一つの政治勢力となってイスラームのムガル帝国と対立するようになった。ムガル帝国の第8代皇帝アウラングゼーブの時代には26年にわたる戦いを展開し、その死後は独立した地方政権となっていた。ムガル帝国の形骸化につけ込んだイギリスは、1757年、プラッシーの戦いでベンガル地方を植民地として組み込み、さらにその支配をインド全域に及ぼそうとしたが、そのときにイギリスに抵抗したのが、北のシーク教徒、西のマラーター同盟、南のマイソール王国であった。

シヴァージーによる建国

 18世紀の中頃、マラーター同盟は有力諸侯が宰相の地位を争うという混乱が続いていた。イギリスはそのマラーター同盟の内紛に介入し、宰相の地位を争う有力諸侯のいずれかに領土の割譲を条件に兵力を提供して介入した。
・第1次マラーター戦争 1775~82年 イギリスがマラータ同盟の宰相の後継者争いに介入した戦争。この開戦の年にアメリカ独立戦争が始まっており、78年にはフランスがイギリスに対して開戦した。それを受けてマラーター戦争でもインドのフランス軍はマラーター同盟の反英勢力と結びイギリス軍と戦った。そのような情勢の中、マイソール王国のハイダル=アリーがイギリスとの戦争に踏み切り第2次マイソール戦争(1780~84)が始まった。そのためイギリスは対マラーター戦争では干渉の成果はほとんどなく終わった。平行したマイソール戦争でもイギリスは苦戦、ハイダル=アリーの死後王位を継いだティプー=スルタンとの第3次マイソール戦争(1799年)でようやくマイソール王国を破った。
・第2次マラーター戦争 1803~1805年 イギリスのベンガル総督ウェルズリーは本国の指示に反してマイソール同盟の宰相に圧力を加えてイギリス軍の駐留などをとりきめた条約に同意させ、有力諸侯を挑発し、戦争に持ち込んだ。ウェズリーは有力諸侯の各個撃破を図り、敗れた諸侯との間で次々と軍事保護条約を締結してそれぞれを藩王国として従属させていった。
・第3次マラーター戦争 1817~1818年 マラータ同盟の反英感情が強まって決起したが、短期間でイギリス軍に敗れ、それ以後は再起できなかった。マラータ同盟の宰相の領地のほとんどはイギリスのボンベイ管区に編入され、他の諸侯は藩王国として名目上の自立は認められたが事実上はイギリスの保護下に入った。
 この3回にわたるマラーター戦争の結果、イギリスはインドの中央部を制圧し、1818年以降は残る反英勢力は北西部のシク教徒のシク王国だけになった。<中里成章他『ムガル帝国から英領インドへ』世界の歴史14 1998 中央公論社>
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ノートの参照
第13章2節 ア.西欧勢力の進出とインドの植民地化
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佐藤正哲・中里成章・水島司
『ムガル帝国から英領インドへ』世界の歴史 14
1998 中央公論社