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サン=トメ島

15世紀、ポルトガル人が黒人奴隷貿易の拠点を設けたギニア湾の島。

 アフリカのギニア湾にある島。1470年にポルトガル人が上陸し、ギニア地方黒人奴隷がこの地に集められ、新大陸に運ばれる三角貿易の拠点とされた。1522年にポルトガル領となり、サトウキビ栽培が導入され、奴隷貿易と共に繁栄した。1574年に奴隷反乱が起きたことで、奴隷貿易の拠点がルアンダ(現在のアンゴラの首都)に移ったため衰微した。1975年に隣のプリンシペ島と共に独立し、現在はサントメ=プリンシペ共和国となっている。

Episode サン=トメ島の盛衰

(引用)ポルトガルはギニア湾のサン・トメ島にも第一級の居留地を持っていた。アフリカ海岸から150マイル離れ、赤道上に斜めに横たわるこの島は、海抜7000フィートもあって気候は変化に富んでいるため、赤道地帯にも拘わらずヨーロッパ人も比較的健康且つ快適に住めるのである。この島は早くからユダヤ人や流刑囚の居留地となっていて、ベニンのグヮトー商館時代にはサン・トメ島は(主としてアメリカ向け奴隷輸出による)貿易で繁栄を迎えていた。事実この島は同海岸地方のあらゆる奴隷取引の主要交換所の観をていしていた。1540年頃から少なくとも一世代の間、この島の隆盛は甘蔗産業の勃興によって一層の高みに達した。この産業は極めて好適な土壌に恵まれて途方もなく栄え、入植者達は豪奢な暮らしを満喫したが、これは西印度諸島における英国人入植者の上流階級の生活よりも二世紀先んずるものであった。この全く瞠目すべき繁栄の時期からサン・トメ島は衰微の道をたどるのであるが、これには幾つかの原因があった。1574年の奴隷の蜂起によって生産が打撃を受けたこと、大部分の砂糖の仕向地アントワープがオランダにおける一揆によって包囲されていたこと、そしてほぼ同じ頃、大西洋の彼方へ送り込む奴隷貿易が新たに建設されたアンゴラの港ロアンダ(ルアンダ)に移ってしまったこと、等々である。<ペンローズ『大航海時代』荒居克己訳 筑摩書房 p.154>
 → ポルトガルのアジア・アフリカ進出
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9章2節 ウ.奴隷貿易と近代分業システムの形成