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ホッブズ

17世紀前半、ピューリタン革命期のイギリスの思想家。『リヴァイアサン』を著し、すべての人間は平等な自然権を有し、「万人の万人に対する闘争」を克服するため社会的な契約を結び、国家に主権を委譲していると考えた。その思想は社会契約説の立場で絶対王政を擁護することとなった。

 ホッブズ Thomas Hobbes(1588-1679) は、17世紀前半のイギリスで活動した思想家。1588年(イギリスがスペインの無敵艦隊を破った年)、ウィルトシャの牧師の子として生まれ、オックスフォード大学を出て貴族の家庭教師となり、そのヨーロッパ旅行(グランド・ツアー)に随行した。その間、フランシス=ベーコンガリレイと親交を結んでその影響を受け、デカルトの著作も学んだ。ピューリタン革命の気運が高まる中、革命には批判的であったホッブズはフランスに亡命し、その地で主著の『リヴァイアサン』を著し1651年に発表した。その教会批判の内容が王党派からは非難されたが、クロムウェルの大赦令によってイギリスに戻り、革命政府に忠誠を誓った。1660年の王政復古後は、チャールズ2世の王政を支持し、デヴォンシャー伯爵の保護を受けて思索に専念した。しかし、教会からはその著作が無神論であるとの非難が絶えず、著作の刊行を禁止された。名誉革命を待たずに、1679年に死去した。

ホッブズの社会契約説

 ホッブズの思想は、フランシス=ベーコンに始まるイギリスの経験論の視点を国家と社会の観察にあてはめたことに特色がある。ホッブズは人間存在を(神の被造物ではなく)物質として捉えることによって、その生存の権利は一人ひとりが平等に有している自然権であると考え、その自然権から秩序が導き出されると主張した。それまでの国家や教会といった秩序の下に人間があるとされていた人間観に対し、ホッブズの人権と秩序を逆転させた人間観は、自然観におけるコペルニクス的転回を社会思想の上で遂げた革新的な思想であった。
「万人の万人による闘争」 ホッブズはこの人間の自然権は自由・平等なものと考えたが、同時にその利己的動物としての本質から、自然状態においては「万人の万人による闘争」とならざるを得ないとし、その状態を克服するために個々の権利を国家権力、すなわち国王に委譲するという社会的な契約を結んでいると主張した。ホッブズが個人と国家(国王)の関係を「契約」と捉えたことは、それまでの絶対王制国家の王権神授説を否定する理念となり、後のイギリスのロックやフランスのルソーなどの社会契約説につながっていく革新性があった。
 しかし、結果としてホッブズの思想は、個人が国王に権力を委譲したことによって王権の正当性が認められるとしたので、絶対王政を支える新たな理念となり、その立場から言えば、人民は君主に反抗することは許されないこととなり、絶対王政を擁護するものであった。その点が名誉革命期のロックや、後のフランスのルソーの社会契約説において革命権が認められたことと決定的に異なっている点である。
 ホッブズの社会契約説は、ホッブズ自身がクロムウェル政権にも、王復古後の絶対王政にも忠誠を誓っていることとあわせて、矛盾し、二重性を持っている。それはホッブズ自身の限界ということではなく、ピューリタン革命から名誉革命に至るイギリス社会のジェントリ階層自身の持っていた矛盾と考えることができる。

リヴァイアサン

リヴァイアサン表紙

『リヴァイアサン』の表紙

1651年に発表されたイギリスの政治思想家ホッブズの主著。国家を「万人の万人に対する闘争」から脱却するための社会契約ととらえ、近代的な国家観を提示した。

 ピューリタン革命でフランスに亡命中のホッブズが1651年に著した主著の書名。リヴァイアサンとは、旧約聖書に出てくる海に住むの巨大な怪獣の名で、ホッブズは人民の自然権を委譲された国家権力に喩えている。有名な初版本の表紙にその怪獣が巨人のように描かれているが、よく見るとその体は無数の人間からできており、王冠を戴き、右手には剣を、左手には聖職者の持つ牧杖を持っている。剣は世俗的(非宗教的)権力を、牧杖は宗教的権力を象徴している。
 この巨人のような海獣の下に国土と都市が描かれていて、国土と都市が国家権力に守られていることを意味している。この表紙が意味するように、『リヴァイアサン』でホッブズが主張したのは、人民の自然権の委譲を受けた君主が、聖俗の権力を独占し、国家を守護するという理念であった。この理念は、16~17世紀ヨーロッパの主権国家体制の出現に対応するものであった。
 ホッブズが『リヴァイアサン』で政治と宗教の関係について論じていることは、ヴォルムス協約の項を参照。

参考 旧約聖書の中のリヴァイアサン

 リヴァイアサン Leviathan は、『旧約聖書』に出てくる海に住む巨大な怪獣。日本語の聖書では、レビヤタン(新共同訳ヨブ記40など)と表記されている。その姿は「ヨブ記」に詳しく、体はうろこで覆われ、その皮は固く突き通すことができない。頭に目、鼻、あご、口、歯、舌があり、翼を持つ。海の中に棲み、海を渦巻きのように沸騰させる。あまりに大きいので釣針や銛ではとることはできない。力は強いが均斉のとれた姿をしており、火や煙を口から吐き出す。「詩編」では、神はレビヤタンの頭を砕いて砂漠の民に食べさせたとされている。レビヤタンは神の民を悩ます猛々しいこの世の諸力を象徴しているのであり、「イザヤ書」にあるように、神は最後にそれを滅ぼすとみられている。その姿はヨブ記にワニとも見做されているので、原型はエジプトで、神の民を抑圧した歴史が反映しているとも考えられる。空想の産物であるにしても、(古代のヘブライ人の)詩人や予言者によって、神の国の抑圧者という真理の例証とされたのである。<『聖書辞典』1961 日本キリスト教団出版局 p.885 などによる>
 失礼な感想だが、早い話、翼の生えたゴジラ、といったところか。「ヨブ記」はレビヤタンの姿を縷々述べた上で、こう言っている。
「勝ち目があると思っても、落胆するだけた。見ただけでも打ちのめされるほどなのだから。」<41-1>
「この地上に、彼を支配する者はいない。彼はおののきを知らぬ者として造られている。」<41-25>
「驕(おご)り高ぶる者すべてを見下し、誇り高い獣すべての上に君臨している。」<41-26>
 レビ記の文脈ではレビヤタンは神の義に生きていたヨブの前に現れた壮絶な試練(それはサタンを使わして神がヨブに与えた試練だった)を意味するとも解釈されるが、ホッブズはそれを国家権力に見立てのだろう。しかし、国家権力を「勝ち目のない」相手として説明するところがホッブズの時代的な限界だったのかも知れない。
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9章3節 ア.科学革命と近代的世界観