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中部イタリア併合

1860年、サルデーニャ王国が住民投票で併合。

イタリアの統一運動が進展する中、中部イタリアは小国分立状態で、統一の障害となっていた。サルデーニャ王国の首相カヴールは、ヴィラフランカの和約を結んでイタリア統一戦争を裏切ったナポレオン3世に激しく怒り、いったん首相を辞任したが、その後イタリア各地で共和派による統一運動が激しくなるのを見て、サルデーニャ王国の王政によるイタリア統一というカヴールの路線が危機にあると判断して首相に復帰し、再びナポレオン3世に接近、1860年1月に両者は、サルデーニャ王国が中部イタリアを併合する代償としてサヴォイアニースを割譲するということで合意に達した。3月、中部イタリア諸国(小国の分立状態だった)で併合の賛否を問う住民投票が実施され圧倒的多数でサルデーニャ王国への併合が決まった。約束通り、サヴォイアとニースでも住民投票が実施され、こちらはフランスへの帰属が決定した。同年、ガリバルディがシチリア島と南イタリアを征服してサルデーニャ国王に献上し、翌1861年にイタリア王国が成立、イタリア統一が進んだ。なおローマ市は教皇領として残り、ようやくローマ教皇領を併合したのち、1871年にイタリア王国はローマを首都としてイタリア統一は完成した。
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第12章2節 オ.イタリアの統一