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ガリバルディ

19世紀のイタリア統一運動で赤シャツ隊を率いて戦い両シチリア王国を征服。その地をサルデーニャ王に献上した。

ガリバルディ
Giuseppe Garibaldi(1807-1882)
ニース生まれの船乗りで、イタリアの統一が高揚する中、はじめマッツィーニに会ってその理念に共鳴し、青年イタリアに参加した。1834年の最初の蜂起の失敗後、南米に亡命。その地でウルグアイなどの独立運動に加わり、ゲリラ戦術を身につけた。1848年革命の嵐がヨーロッパに巻き起こると直ちに帰国し、マッツィーニとともにローマ共和国の建設に加わる。フランス軍の介入により敗北した時に、身重の妻アニタと共に脱出したが、途中妻は過労で死亡するという悲運にあう。熱烈な共和主義者であった彼は、カヴールの進めるサルデーニャ王国によるイタリア統一には初め反対であったので、事態打開のため独自の行動をとった。

シチチア島を占領

 1860年「千人隊」(またの名を赤シャツ隊という)を率いてシチリア島を占領、ブルボン家の支配する南イタリアの両シチリア王国を征服した。ガリバルディの優れた軍事的指導力で南イタリアは平定され、住民投票が行われた結果、圧倒的多数でヴィットーリオ=エマヌエーレ2世を国王とする統一が可決された。ヴィットリオ=エマヌエーレ2世も急きょ半島を南下し、10月25日ナポリ北方のティアーノで両者は会見し、共和政を断念したガリバルディはシチリアとナポリの統治権を無条件で国王に献上した。これによってサルデーニャ王国主体のイタリアの統一が完成する。ガリバルディはやむなくナポリを去り地中海に浮かぶカプレラ島に隠棲した。その後もローマ遠征と共和政の実現に意欲を燃やしたが実現することなく1882年まで生きた。

Episode ガリバルディと赤シャツ隊

 ガリバルディのシチリア遠征は急に決まったのでジェノヴァの近くの港を出たときの人数は1089名にすぎなかった。そこから「千人隊」の名称が付けられた。またガリバルディの赤シャツ姿はすでに有名だったので「赤シャツ隊」とも言われたが、全員のユニフォームだったわけではなく、実際に赤シャツは50着しか用意されず隊員は普段着のまま参加した。ガリバルディの赤シャツは目立ちすぎて標的になたため、隊員はできるだけ彼の前に立ちはだかるようにした。<『世界の歴史』22 1999 中公論新社 北原敦執筆 p.250>
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ノートの参照
第12章2節 オ.イタリアの統一