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イタリア統一戦争

イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国が、フランス(ナポレオン3世)の支援を受け、1859年に起こしたオーストリアとの戦争。優勢に戦ったが、フランスが単独で講和したため戦争は中断され、統一には至らなかった。

 1859年、サルデーニャ王国がフランスのナポレオン3世と同盟して、オーストリアに宣戦、北イタリアの解放によるイタリアの統一を目指した戦争。

開戦

 前年のナポレオン3世とサルデーニャ王国首相カヴールプロンビエール密約に基づき両国同盟軍が形成され、1859年4月に同盟軍はロンバルディアに侵攻して戦闘が始まった。フランス軍はナポレオン3世みずからが率いる12万8千、サルデーニャ軍7万、それにガリバルディの義勇部隊「アルプス猟歩兵旅団」3200人が加わった。迎え撃つオーストリア軍は22万。皇帝フランツ=ヨーゼフ1世が陣頭指揮を執った。6月、ソルフェリーノなどの激戦でかろうじて同盟軍が勝利したが、オーストリア軍もヴェローナ、マントヴァに要塞を築き防衛を強化した。

ナポレオン3世の単独講和

 7月になって突如ナポレオン3世は、サルデーニャ側にはからずにオーストリアとヴィラフランカの和約を結んで単独講和、戦場から撤退した。ナポレオン3世は戦争の長期化を恐れたことと、サルデーニャ王国が全イタリア統一に進みローマ教皇領まで併合するに至ればフランスのカトリック信者の反発を招くであろうと読んで、適当なところで手を引くと判断したためらしい。カヴールは激しく怒り首相を辞任。サルデーニャの北イタリア制圧はロンバルディアまでで終わり、ヴェネツィアは依然としてオーストリアの支配下に残ることとなった。

デュナンと赤十字運動

 ソルフェリーのの戦いに従軍していたスイス人のアンリ=デュナンは、敵味方を限らず、傷ついた兵士が放置され死んでいくのを目の当たりにして、衝撃を受け、洗浄での負傷者の救援を敵味方を越えて行う必要を痛感した。さらにデュナンは、クリミア戦争でのナイティンゲールの活躍を知り、それに刺激されて、国際赤十字をつくることを提唱し、それを1964年の赤十字条約で実現させた。
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ノートの参照
11章2節 オ.イタリアの統一