印刷 | 通常画面に戻る |

臨時約法

辛亥革命によって成立した中華民国で1912年に制定された暫定憲法。

1912年3月、中華民国臨時大総統の袁世凱の時に制定された憲法制定までの暫定基本法。革命運動の指導者宋教仁が中心となって起案したもので、その精神は西欧的な議会制民主主義を導入しようとした近代的な憲法であった。しかし袁世凱独裁が強まるなかで、14年5月に廃止された。

臨時約法の内容

 その冒頭で「中華民国の主権は国民全体に属する」とて主権在民を規定し、第二条ですべての国民が民族、階級、宗教にかかわりなく平等であると定め、さらに言論、出版、および集会の自由を保障するとしており、また、臨時大総統(袁世凱)の権限を制約するため立法部の権限を強くして、議院内閣制を採り入れ、議会は衆議院・参議院の二院制、予算・法律制定・臨時大総統の選出・大統領に対する弾劾権などの権限が認められていた。

袁世凱・孫文いずれも臨時約法を支持せず

 議会の権限を強くし、臨時大総統の権限を抑えようとしたのは、袁世凱の独裁の危険性を警戒したことと、孫文の革命論にも対抗するためであった。孫文はこの臨時約法に対し、自分の主張が通ったのは国民主権の原則だけで、「その他はすべて私の意志でない」と言ったという。孫文は中国の革命は議会制民主主義では不可能で、強い指導力を持った独裁的な権限が必要だと考えていた。

袁世凱、臨時約法を葬る

 袁世凱はこの臨時約法を認めることで臨時大総統となったが、宋教仁が具体的に議会政治に備えた政党として国民党を組織し、現実に1913年の選挙で国民党が第一党となると、同年3月宋教仁を暗殺、さらに国民党を解散させて一挙に独裁権力を奪ってしまった。残った議員を買収した袁世凱は1914年3月、大総統の権限を大幅に拡大し、議会の代わりに大総統の諮問機関として参政院をおくだけという中華民国約法を制定、臨時約法と中国初の民主的議会は1年も持たずに幕を閉じることとなった。<菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』2005 講談社 中国の歴史10 p.167-170>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第14章3節 エ.辛亥革命