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連合国共同宣言

1942年1月、米英ソ中の4国が発議し、26ヵ国が参加、日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国との戦争を連合国として戦い、単独不講和を宣言した。国際連合形成の第一歩となった。

 太平洋戦争の開戦によりアメリカが参戦し、第二次世界大戦がまさに全世界規模に拡大されたことを受け、1942年1月1日、ワシントンにおいて、アメリカ合衆国・イギリス・ソ連・中国の4ヵ国を発議国とし、世界26ヵ国が発した共同宣言。草案は、F=ローズヴェルト(米)、チャーチル(英)、リトヴィノフ(ソ連)、宋子文(中国)が起草した。その骨子は、前年8月、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルの間で合意され、公表されていた大西洋憲章であった。

「連合国」の発足

 この時参加した26ヵ国とは、アメリカ合衆国、イギリス、ソヴィエト連邦、中国、オーストラリア、ベルギー、カナダ、コスタ・リカ、キューバ、チェコスロヴァキア、ドミニカ、エル・サルバドル、ギリシア、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インド、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パナマ、ポーランド、南アフリカ、ユーゴスラヴィアである。
 これらの国々が「連合国」を構成し、「枢軸国」である日本、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド、タイの陣営との二つに分かれた世界大戦となった。この「連合国(United Nations)」は1945年6月成立の「国際連合」に継承される。この連合国から敵国とされたドイツ、日本らは、いわゆる「敵国条項」で当初、国際連合には加盟できなかった。
 連合国共同宣言はまた、単独では講和に応じないことを約束して結束を強めた。 → 連合国の戦後処理構想
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