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大西洋上会談/大西洋憲章

1941年8月、F=ローズヴェルトとチャーチルが大西洋上で英米首脳会談を行い、枢軸国との戦争目的と、戦後の国際協調に関する基本的な合意を発表した。

 大西洋憲章とは1941年8月9日、大西洋上で行われた、アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルトとイギリス首相チャーチルの会談で合意された、8ヶ条からなる憲章。第二次世界大戦後の連合国の戦後処理構想、国際協調のあり方についての宣言である。
注意 大西洋憲章は「第二次世界大戦の戦後処理」の一つとして扱われることが多いので、戦後のことと勘違いしがちであるが、1941年8月に行われていることにまず注意しよう。1939年に大戦は始まっていたが、この時点ではアメリカ合衆国はまだ参戦していないアメリカが参戦するのは12月8日、日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったことによって、日本と同盟しているドイツとも開戦することになった時である。アメリカは武器貸与法で事実上、イギリスの対ドイツ戦争に加担していたが、F=ローズヴェルトは将来の参戦は不可避と考え、その際の大義名分として大西洋憲章を打ち出した。あとは参戦の口実が得られるのを待つだけだったところに日本軍が真珠湾を攻撃したのだった。

大西洋上会談

 Uボートによる攻撃の恐れから、極秘のうちに計画され、1941年8月9日からカナダのニューファンドランド、プラセンシア湾上で、イギリスの最新鋭戦艦プリンス=オブ=ウェールズ、アメリカの巡洋艦オーガスタを両者が相互に訪問し、会談を重ねた。その結果合意に達したものが「大西洋憲章」である。<大西洋洋上会談の様子、憲章の成立過程については、ウィンストン=チャーチル『第二次世界大戦』3 河出文庫 p.33 に詳しい。> → アメリカの参戦

資料

 大西洋憲章(前文略)
  1. 両国は、領土的たるとその他たるとを問わず、いかなる拡大も求めない。
  2. 両国は、関係する人民の自由に表明された願望に合致しない、いかなる領土の変更も欲しない。
  3. 両国は、すべての人民が、彼らがそのもとで生活する政体を選択する権利を尊重する。両国は、主権および自治を強奪された者にそれらが回復されることを希望する。
  4. 両国は、現存する義務に対して正当な尊重を払いつつ、あらゆる国家が、大国小国を問わず、また勝者敗者にかかわらず、経済的繁栄に必要とされる世界の通商および原料の均等な開放を享受すべく努力する。
  5. 両国は、労働条件の改善、経済的進歩および社会保障をすべての者に確保するために、経済分野におけるすべての国家間の完全な協力を実現することを希望する。
  6. ナチスの独裁体制の最終的崩壊後、両国は、すべての国民が、彼ら自身の国境内で安全に居住することを可能とし、すべての国のすべての人が恐怖と欠乏から解放されて、その生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する。
  7. このような平和は、すべての人が、妨害を受けることなく、公海・外洋を航行することを可能とするものでものでなければならない。
  8. 両国は、世界のすべての国民が、現実的および精神的なるいずれの理由からも、武力行使の放棄に到達しなければならないと信じる。陸・海・空の軍備が自国の国境外に侵略の脅威を与え、もしくは与えそうな国々によって行使される限り、いかなる将来の平和も維持され得ないのであるから、一層広範かつ恒久的な全般的安全保障システムが確立されるまで、こうした国々の武装解除は不可欠であると信じる。両国は、同様に、平和を愛好する国民のために、軍備の圧倒的負担を軽減するすべての実行可能な措置を支援し、かつ促進させるであろう。
<『世界史史料』歴史学研究会編 10 p.352>

大西洋憲章の要点

 要点をまとめると、(1)(2)は領土の不拡大・不変更、(3)は民族自決、(4)は自由な貿易、(5)国際的な経済協力、(6)は平和の確立、(7)は公海の自由、(8)は武力行使の放棄と安全保障システム確立とそれが実現するまでの侵略的な国(ドイツ)の武装解除、および軍備軽減、となるだろう。
 理念として第一次世界大戦の末期にアメリカ合衆国大統領ウィルソンが提唱した十四カ条を継承している。大西洋憲章では国際平和機関の設立には具体的に言及されていないが、ナチスとの戦争の目的を平和の確立(第6項)にあるとして、戦後における平和の維持、安全保障、経済の安定などで各国が協力することを呼びかけた。

ソ連の同意

 ソ連はすでに1941年6月22日に独ソ戦が始まり、苦境に立たされていたので7月には英ソ軍事同盟を締結してドイツを共同の敵としていたので、8月の大西洋憲章に対してただちに支持を表明した。こうしてファシズム国家の枢軸国に対して、イギリス・アメリカ・ソ連を主力とした連合国が形成された。ソ連は、英米との協調を進める上で障害になるとして、1943年5月にはコミンテルンの解散に踏み切った。

連合国共同宣言へ

 大西洋憲章の呼びかけに対するソ連の賛同により、大西洋宣言はファシズムと戦う諸国の支持を受けて、その共同指針としての役割を担うこととなり、アメリカの参戦後の1944年1月、アメリカ・イギリス・ソ連・中国の4国を中心に26ヵ国が参加して連合国共同宣言が出された。これが国際連合を発足させた「連合国」である。これらの構想が「国際連合」の形成の第一歩となった。このような経過から大西洋宣言は全般的な意味で、「戦後の国際協調の基本構想」を示した、いえる。 → アメリカの外交政策

参考 チャーチルの国内向けの顔

 大西洋憲章は「それを発した当事者にとってもかならずしも心地よいものではなかった」。それは第3項の「すべての人民が、彼らがそのもとで生活する政体を選択する権利を尊重する」という“民族自決”を謳っている部分である。イギリス首相チャーチルはローズヴェルトの熱意に押されて憲章に合意したが、イギリスのかかえる植民地に関しては、国内では別な顔で語らなければならなかった。
(引用)チャーチルはローズヴェルトとの会見から帰国したのち、イギリスの議会演説で、この条項が「インド、ビルマやイギリス帝国のそのほかの部分」の将来についてのイギリスの政策には影響を及ぼさないこと、「イギリス国王に忠誠を誓っている地域や住民の自治制度の進展」とはまったく別問題である、と言明した。大西洋憲章に盛り込まれた精神が、国際体制のなかでの不平等性の最大のあらわれである植民地支配――それは第一次世界大戦後の国際体制のなかでてつかずのままに残り、国際連盟のもとでの委任統治制度によってむしろ拡大していた――の解消を志向するものであったにもかかわらず、まさに最大の「もてる国」であったイギリスの首相は、それに逆行する姿勢を示したのである。<木畑洋一『国際体制の展開』世界史リブレット54 1997 山川出版社 p.46-47>

NewS 新大西洋憲章

 2021年6月10日、イギリス西部のコーンウォールで開催されたG7の会合に先立ち、就任後初めて訪英したアメリカ大統領バイデンと、イギリス首相ジョンソンが会談、両者は「新大西洋憲章」で合意した。会談後、バイデンは80年前の1941年、F=ローズフェルト大統領とチャーチル首相が署名した「大西洋憲章」を「今世紀の課題に対応するため、アップデートした」と意義を語った。新たな課題とは新型コロナウィルスによるパンデミックと、中国の台頭に立ちむかうこととだという。大西洋憲章と同じく8項目からなり、民主主義の価値を守ることに加え、サイバー攻撃や気候変動への対応なども盛り込まれた。<朝日新聞 2021/6/12 記事より>
 → 「新大西洋憲章」が示す米英の本気度 毎日新聞 政治プレミア(有料記事)

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木畑洋一
『国際体制の展開』
世界史リブレット54
1997 山川出版社