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連合国の戦後処理構想

第二次世界大戦中に連合国首脳によって進められた戦後構想の経緯をまとめると以下のようになる。

 第二次世界大戦中に連合国が行った、大戦の指導と戦後処理についての話し合い(首脳会談)をあげる(開催順)。
○1.大西洋上会談 41年8月 イギリス首相チャーチル・アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト大西洋憲章の発表
 2.アルカディア会談(ワシントン) 41年12月 チャーチル・F=ローズヴェルト 太平洋戦争勃発への対応と対ドイツ作戦、合同参謀本部の設置、連合国共同宣言などで合意。
 3.ロンドン会談 42年7月 北アフリカ作戦
 4.モスクワ会談 42年8月 チャーチル・スターリン 第2戦線問題
○5.カサブランカ会談 43年1月 チャーチル・F=ローズヴェルト シチリア上陸作戦の検討、無条件降伏の原則の表明
 6.トライデント会談(ワシントン) 43年5月 チャーチル・F=ローズヴェルト フランス上陸作戦の日程決定
 7.ケベック会談 43年8月 フランス上陸作戦の確認
 8.モスクワ会談 43年10月 アメリカ、イギリス、ソ連三国の外相会談 国際連合設立のモスクワ宣言発表
○9.カイロ会談 43年11月23日~27日 F=ローズヴェルト・チャーチル・蔣介石 対日戦争の戦後処理方針決定。カイロ宣言
○10.テヘラン会談 43年11月28日~12月1日 F=ローズヴェルト・チャーチル・スターリン(最初の三首脳会談) 第2戦線問題とポーランド問題。ソ連日本参戦問題。
○11.ブレトン=ウッズ会議 44年7月1日 連合国の経済担当者 戦後の国際経済体制を協議
○12.ダンバートン=オークス会議 44年8月~10月 連合国の法律専門家 国際連合規約の草案を検討
 13.モスクワ会談 44年10月 チャーチル・スターリン 英ソによるバルカン・ギリシアの勢力分割(パーセンテージ協定)
○14.ヤルタ会談 45年2月 F=ローズヴェルト・チャーチル・スターリン 国際連合の設立、対独戦後処理、ポーランド問題。秘密協定としてソ連の日本参戦決定。ソ連の千島占領。
○15.サンフランシスコ会議 45年4月~6月 連合国50ヵ国 国際連合憲章の採択
○16.ポツダム会談 45年7月~8月 トルーマン・チャーチル(途中からアトリー)・スターリン 日本への無条件降服勧告であるポツダム宣言と、対ドイツ戦後処置に関するポツダム協定が成立。

重要会談のポイント

 連合国首脳による戦後処理のための会談は、実際には上記のようにたくさんあるが、重要なものは○印をつけたものであり、それらは出席した首脳、宣言・協定の内容をきちんと覚えておくこと。また、関連する外相会議や連合国全体会議も抑えておく必要がある。重要会談の順番を覚えるおまじないは、「大西洋上で傘買いてえ、やるか散歩」。
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ノートの参照
第15章5節 エ.ファシズム諸国の敗北