印刷 | 通常画面に戻る |

ビキニ環礁/ビキニ水爆実験

南太平洋のマーシャル群島にある環礁の一つで、アメリカが1954年に水爆実験を実施。その近くを通った日本の漁船第五福竜丸が被爆した。

アメリカの水爆実験

 ビキニ環礁とは、南太平洋のミクロネシアのマーシャル諸島に点在する環礁(サンゴ礁)の一つ。第二次世界大戦後、アメリカの信託統治領となっていた。1946年から、この地はアメリカの核実験の実験場として使用されるようになり、核兵器開発競争が激化する中、1954年3月1日からは新たに水素爆弾が開始された。5月まで6回爆発(うち1回はエニウェトク環礁)させたが、そのうちの第1回3月1日に爆発させた「ブラボー」は広島型原爆の一千倍の威力があった。この実験は付近の海域に放射性物質(「死の灰」と言われた)をまき散らしたが、日本漁船第五福竜丸の被爆は世界的な問題となり、国際的な核実験禁止運動が起きる契機となった。

News ビキニ死の灰、世界的規模だった

 1954年3~5月のビキニ環礁での水爆実験で、放射性降下物「死の灰」は、太平洋を越えて広がり、日本やアメリカにも及んでいたことが、1984年に機密解除されたアメリカの公文書で明らかになった。当初アメリカが公開した降灰の範囲はビキニ環礁から風下の東に向けて1万8千平方キロに限られるとされていたが、55年にアメリカ気象局を中心にまとめた全227頁の写しが84年に機密解除されたものを広島市立大学広島平和研究所の研究者が分析をすすめた結果、降灰の総領は22.73メガキュリーで、その範囲は東はアメリカ本土、西は日本に及んでいたことが明らかになった。
 当時、付近を航行し被爆した漁船や貨物船は延べ一千隻をこえるともいわれ、元乗組員にも健康被害を訴える人が多いが、研究者は核実験が地球規模の環境汚染問題であることを示しているとして警鐘を鳴らしている。<朝日新聞 2010年9月19日記事による>

第五福竜丸事件

1954年、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で日本漁船が被爆し、一人の死者を出した事件。

 1954年3月1日、太平洋で漁業に従事していた日本の漁船第五福竜丸が、アメリカがビキニ環礁で行った水素爆弾実験によって発生した「死の灰」を浴びた。半月後、焼津港に帰った第五福竜丸の乗組員が身体の異常を訴え、多量の放射能が検出された。乗組員の一人、久保山愛吉さんが9月に死亡した。久保山さんは、広島・長崎に続く、日本人の核兵器による犠牲者となった。
 この事件は世界を驚かし、ロンドンタイムスは「水爆最初の犠牲者、日本人漁民死す」と報じた。アメリカは第五福竜丸をスパイ船の疑いがあると発表しひんしゅくを買う。築地の市場では南太平洋で捕獲されたマグロがまったく売れなくなった。そして世界中からアメリカのトルーマン大統領宛に抗議の署名が届いた。これを期に原水爆禁止運動の声が上がり、翌55年、第1回原水爆禁止世界大会が広島市で開催された。<浜林正夫・野口宏『ドキュメント戦後世界史』p.109>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第16章2節 ア.朝鮮戦争と冷戦体制の成立