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ソマリア

アフリカの東北角地にあり、1960年、北部のイギリス領、南部のイタリア領が個別に独立したの地に合邦。1991年から深刻な内戦が続いている。

 アフリカ東岸の、インド洋に突き出たこの一帯を「アフリカの角」という。内陸部は遊牧生活だが、海岸部は紅海とインド洋を結ぶ交易の中継港としていくつかの港が栄えた。10世紀頃、アラビア半島からハム系民族のソマリリ人が移住し、イスラーム化した。中国の鄭和艦隊が寄港したモガディシュも現在のソマリアに属しており、現在のソマリアの首都である。
 19世紀前半には東アフリカに大きな勢力を有していたオマーンサイイド=サイードの支配を受けていたが、彼の死後はその力は急速に衰え、イタリアとイギリスが進出した。その結果、南部は1908年にイタリア領のソマリランドとなり、北部はイギリス領ソマリランドとして植民地支配を受けることとなった。第二次世界大戦後は北部がイギリスの保護領、南部はイタリアの信託統治領となった。

ソマリアの独立

 1960年のアフリカの年に北部と南部が別個に独立、後に合邦しソマリア共和国となった。社会主義政党が次第に力を付け、1969年にクーデターを起こしたハーレ少将は、1970年に社会主義国家宣言を行うと同時に、民族主義を掲げ、ソマリ人による国家統一を主張した。その結果、西側に接するエチオピアのオガデン地方のソマリ人が、エチオピアかあの分離を主張して武装放棄し、それがもとで77年にエチオピアとソマリアとの間で、「オガデン戦争」が勃発した。この戦争ではキューバとソ連がエチオピアを軍事支援に乗り出したためソマリア軍は撃退され、88年の停戦まで続いた。

エチオピアとの戦争で疲弊

 オガデン戦争でソマリアは人的、経済的な打撃を受けたにもかかわらず、ハーレ大統領は独裁政治を続け、また自己の出身部族を優遇し続けたため、80年代からハーレ政権に反発する地域の部族が反政府勢力に集まるようになった。
 その後も内紛が続き、1991年には反政府勢力が首都を制圧してハーレ大統領を追放、ところが反政府勢力内部にも南北の地域対立が生じ、ソマリア内戦の勃発となった。
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ノートの参照
第16章3節 ア.アフリカ諸国の独立