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イスラエル王国

前922年ごろ、ヘブライ王国が分裂し、その北部に生まれた王国。都はサマリア。前722年まで存続したが、アッシリア帝国に滅ぼされた。

 イスラエル王国は、古代オリエントにおけるヘブライ人(彼らは自らはイスラエル人と称し、後にユダヤ人といわれるようになる)が、前1000年頃に部族を統合して成立させたヘブライ王国を指す場合もあるが、一般的にはその王国が南北二つに分裂した後の、北部の王国を限定していう場合が多い。この分裂は南部のユダ族から出たダヴィデ王-ソロモン王の統治に不満な北部部族が、ソロモン王の死後の前922年ごろに分離独立して生じた。南部はユダ王国となった。
 イスラエル王国の領域は、現在のイスラエル北部と、アラブ側と係争地となっているヨルダン川西岸にあたる。

イスラエル王国のその後

 イスラエル王国は王権が不安定で、たびたび内紛が起こり、いくつかの王家が交替した。都も転々としたが、前878年にサマリアに遷都し、それ以後をサマリア王国という場合もある。前9世紀には北方のダマスクスを中心としたアラム王国、南方のユダ王国とも抗争しながら存続した。
 この間、イスラエル王国では先住民の偶像崇拝の影響を受け、ヘブライ人ヤハウェ信仰が次第に変質し、そのことが旧約聖書にはイスラエル滅亡の原因として因果応報的に語られている。
 北方からのアッシリアの脅威が強まる中、イスラエル王国では前845年ごろエヒウという将軍が実権を握り、一時有力となった。このエヒウ王朝はイスラエル史上最も長命な王家となり、約100年続いたが、それはアッシリアへの貢ぎ物とフェニキア人などの異教の神殿を認めるなどの妥協策によって維持されていた。それに対してユダヤ教信仰を守ることを主張する保守派の声は預言者の発言となって強まっていった。
(引用)イスラエルは外見上は繁栄していたが、予言者たちはその裏側に隠された社会の問題点を見逃さなかった。この時代には、アモス、ミカ、ホセアなどの預言者が現れ、上層階級の贅沢、貧者の抑圧、搾取や階級差別、そしてヤハウェ崇拝の形骸化などを指摘し、将来起こり得る繁栄の喪失を預言した。実際彼らの危機意識はきわめて鋭いものがあり、このような批判精神は古代世界ではユニークなものである。<小川英雄他『世界の歴史4オリエント世界の発展』1997 中央公論社 旧版p.163>

イスラエル王国の滅亡

 前8世紀にはメソポタミアにはアッシリアが台頭、前732年にはアラム王国を滅ぼし、イスラエル王国にも迫った。イスラエル王国ははじめアッシリアに朝貢していたが、前724年ホシュア王がエジプトと結んでアッシリアに反抗すると、アッシリア帝国のサルゴン2世は遠征軍を送り、前722年に都サマリアを襲撃して、イスラエル王国を征服したため、王国は滅亡した。サルゴン2世は、イスラエルの残留民を強制的に移住させ、その跡に異民族を入植させた。これによって残留のイスラエル人と異教徒の混合が進んだ。
 一方の南のユダ王国は滅亡を免れたが、アッシリア帝国に従属し、貢納を続けて属国同様となった。その後、アッシリア帝国が滅亡、バビロニアに興った新バビロニアによって、前586年に都イェルサレムの神殿も破壊され、滅亡した。その時、多くのヘブライ人がバビロンに連行される「バビロン捕囚」の苦難を体験する。
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シ-セル=ロス
長谷川眞・安積鋭二訳
『ユダヤ人の歴史』
1961 みすず書房

小川英雄・山本由美子
『世界の歴史4
オリエント世界の発展』
1997 中央公論社