アッシュール=バニパル王
前7世紀中ごろのアッシリア帝国全盛期の王。オリエントを統一支配し、ニネヴェに王立図書館を建設した。その死後、帝国は急速に衰え、四国に分裂した。
アッシリア帝国のオリエント統一

ライオン狩りをする
アッシュール=バニパル王。
しかし前627年頃のその死後、アッシリア帝国では王位継承の争いとともに地方勢力が自立して分裂状態となり、前612年に滅亡する。
エジプトを征服
アッシリアのエジプト征服事業は、アッシュール=バニパル王の父のエサルバトン王が着手していた。前667年、アッシュール=バニパルはすでに服属していたフェニキア地方の有力都市シドンやティルスの兵力を動員し、陸上と海上からエジプトに侵攻し、メンフィスを攻略した。さらに前663年ナイル川を遡ってテーベを占領し、王宮から戦利品を奪い、人民を連行してニネヴェに凱旋した。エジプト末期王朝第25王朝(ヌビア王朝)は、アッシリアの統治を受け入れ、その行政区に組み入れられた。アッシリア帝国はエジプトを支配することによって、初めてオリエント世界全域を支配する世界帝国となった。世界帝国としては最古のものとされている。アッシュール=バニパル王は軍を直接指揮することはなかったと言われているが、遠征軍をエジプト以外の各方面にも派遣し、その支配領域を周辺の異民族にも拡げた。西方のイラン高原のエラム王国に対してもたびたび遠征軍を派遣し、首都スサを破壊した。エラム王国は事実上崩壊したが、その残存勢力は前6世紀まで存続した。
このアッシュール=バニパル王の征服活動は急速に行われたため、その征服地に対する統治は必ずしも安定せず、王の死後、帝国に対する反乱が各地で起こり、帝国の崩壊につながっていく。
ニネヴェの王立図書館
広大なオリエント世界を統一的に支配するために、各地の情報を首都ニネヴェに収集した。その楔形文字の文書群が19世紀に発見され、「ニネヴェの王立図書館」と言われている。約3万点とも言われる粘土板文書は、帝国統治のために必要な占い、宗教儀式の関するものから、当時の最先端の情報まで含んでおり、その文書の研究から古代メソポタミアの文明の内容が明かとなったので、その研究を「アッシリア学」という。Episode 王のライオン狩り
アッシュール=バニパル王はライオン狩りのレリーフで有名であるが、ということはこの時代は西アジアでもライオンが生息していたということである。しかし、シュメールの時代からライオン狩りは行われていたようで、アッシリア時代にはすでに頭数が少なくなり、アッシュールバニパル王の頃は王の狩猟のためにライオンが飼育されていたという。また王のライオン狩りもスポーツではなく、王が執行する宗教儀式であり、殺されたライオンは祭壇でまつられていた。<『世界の歴史』1 「大帝国の滅亡」渡辺和子 p.363 中央公論社による>図は、アッシュール=バニパル王のライオン狩りを描いたレリーフと言われているもの。戦車の上から、槍でライオンを射殺そうとしている。
「学者王」アッシュール=バニパル
・アッシュール=バニパル王の「獅子狩り図」はアッシリアの浮き彫りの傑作として知られている。古代メソポタミアにはライオンがいて、ライオン狩りは武人としての訓練と言うだけでなく、宗教的儀式でもあった。獅子が魔を象徴し、その魔をしとめることで王が宇宙の秩序を整える意味があった。さらにこの図について、次のような図解がある。(引用)ところで、獅子を仕留めるアッシュル・バニパルの腰のあたりに注目してもらいたい。狩猟の場面でも王は葦でできた二本のペンを腰帯にはさんでいる。王が望んだ肖像にちがいなく、王は文字の読み書きができたのである。また、浮彫に刻まれているアッシュル・バニパルの着衣を拡大すると、王はロゼット文が散りばめられた衣服を着ていることがある。ロゼット文は、豊饒および戦争を司るシュメール起源ののイナンナ神、アッカド語でイシュタル女神の象徴である。科学知識が未発達な時代に死や病気のような災厄から身を守るためにも、魔除けとして吉祥文であるロゼット文を散りばめた衣服を着ていたのであろう。<小林登志子『アッシリア全史』2025 中公新書 p.265-266>アッシュール=バニパル王は学者王であった。大きな文字で書かれた、「私はアッシュル・バニパル王である」で終わっている何枚かの粘土板がみつかっていて、これは王が文字の練習をしたものと考えられている。長いメソポタミアのの歴史でも、識字力つまり文字の読み書きができ事を自慢しているのは、アッシュル=バニパルより約1400年も前のウル第3王朝のシュルギ王など少数である。アッシュール=バニパルは他にも占卜師たちと議論する資格がある、割り算やかけ算の計算ができ、シュメール語を読むことができるなどと自慢している。<小林登志子『前掲書』p.266>