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内乱の1世紀

ローマ史の中のほぼ前1世紀、閥族派と平民派の内乱・都市の反乱・奴隷の反乱・対外戦争が続いた時期。ローマ共和政からローマ帝国への移行をもたらした。

 古代のローマは、都市国家段階から身分闘争をへてローマ共和政を発展させてきたが、ポエニ戦争マケドニア戦争などでその支配領域を拡大させていった結果、奴隷労働力によるラティフンディア(大土地所有経営)の拡大や中小農民の没落による無産市民の増加などがもたらされ、その社会は大きく変化していった。
 前121年、共和政の再建を目指したグラックス兄弟の改革が失敗に終わると、政局は元老院、平民会入り乱れての閥族派平民派の有力者同士の政争の時期となっていった。かつての市民による武器自弁の重装歩兵戦術は維持できなくなり、マリウスの兵制改革以降、ローマの軍事力は有力な将軍と私的に結びついた私兵集団・傭兵が核となるようになった。

「内乱の1世紀」

 前1世紀に入ると、ローマに対する内外の反抗が、同盟市戦争ミトリダテス戦争スパルタクスの反乱と立て続けに起こり、それらはいずれも、スラポンペイウスクラッススカエサルら、有力な将軍の私兵集団若しくは傭兵によって鎮圧され、その戦功をほこる将軍が互いにローマの覇権を目指して争うようになった。
 その中でガリア遠征などを成功させたカエサルの覇権がほぼ成立したが、前44年に暗殺され、その後継者争いを制したアウグストゥスが、権力を握ることによって、ようやく内乱は終息した。
 この前27年のアウグストゥスの即位による帝政ローマの成立までのほぼ100年間を、内乱の1世紀といっている。閥族派・平民派の内乱に加えて、都市の反乱、奴隷の反乱・辺境の反乱、そして対外戦争が相次いだ時代であった。その中から生まれたアウグストゥスの政治は、共和政の上で元首として政治を行うという元首政であり、後の専制的な皇帝政治(専制君主政)とは区別される性格を有していた。

前1世紀のローマ史重要事項

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