バラモン
インドのヴァルナの最上位に置かれる司祭階級。ブラーフマナ。ヴェーダを伝承する知識人層としてバラモン文化をもとにバラモン教の宗教体系をつくりあげた。
インド古来のカースト制度を構成する四ヴァルナの最上位で、祭祀を司る世襲の司祭階級。古代インドのサンスクリット語では、ヴェーダ(祭儀書)の持つ神秘的な力であるブラフマン(漢語で梵)を語源としてブラーフマナといわれており、漢語で婆羅門と書いたところから日本ではバラモンといわれるようになった。
世襲的にヴェーダ聖典を暗唱して伝承し、呪術的な力を持つとされる。かれらはまたヴァルナ制社会の最上級にいたので、その権威と特権を維持するために、様々な規制を作り上げていった。バラモンはまたインド社会の知識階級として王朝の大臣や裁判官になることも多かった。バラモンの次のヴァルナであるクシャトリヤは戦士・貴族であり、バラモンともに支配階級を構成し、農耕・手工業に従事するヴァイシャ、従属民を意味したシュードラ(後にヴァイシャと同格の庶民を意味するようになる)の二階層の上位にあった。
理想の「四住期」 律法経(ダルマスートラ)では、上位三ヴァルナ(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ)を再生族とし、再生族に生まれた男性は十歳前後に入門式をあげ、バラモン教師の家に入って禁欲かつ勤勉にヴェーダ聖典を学び(学生期)、それを終えたものは家業を継ぎ、結婚して華頂としての務めを果たし(家住期)、老齢に達すれば家業を息子に譲って家を出て森に入り、俗世に煩わされることなく清浄な生活を送り(林住期)、さらに人生の完成を求めるものは森を出て托鉢乞食しつつ死を迎えるまで遍歴する(遊行期)という「四住期」を理想とするようになった。こうしてヴェーダの学習や父祖伝来の仕事を継承するというバラモン教の価値観が確立していった。
世襲的にヴェーダ聖典を暗唱して伝承し、呪術的な力を持つとされる。かれらはまたヴァルナ制社会の最上級にいたので、その権威と特権を維持するために、様々な規制を作り上げていった。バラモンはまたインド社会の知識階級として王朝の大臣や裁判官になることも多かった。バラモンの次のヴァルナであるクシャトリヤは戦士・貴族であり、バラモンともに支配階級を構成し、農耕・手工業に従事するヴァイシャ、従属民を意味したシュードラ(後にヴァイシャと同格の庶民を意味するようになる)の二階層の上位にあった。
バラモンの力の増大
後期ヴェーダ時代(前1000~前500年頃)には、リグ=ヴェーダの中で有力だったインドラやアグニなどの自然神への信仰は次第に衰え、造物主プラジャーパティのような抽象的な神格が崇拝されるようになった。バラモンの崇拝の仕方も従来の祈祷だけでなく、犠牲を捧げる供犠の重要性が増大していった。バラモンたちは王の戦勝を祈願して牛や馬の犠牲をともなう大規模な供犠を行い、各氏族や家庭でも神々をなだめるための供犠がバラモンの手で行われるようになった。その供犠の発達がバラモン階層の力を増大させ、彼らは祭式を中心としたバラモン教を作り上げていった。また祭祀に際して庶民(ヴァイシャ)の差し出す貢納は、バラモン階層の贈物となって彼らを富ませた。<辛島昇『インド史』p.31>バラモン教
ヴェーダを聖典として独占的に伝承してつくりあげたのがバラモン教である。バラモンは祭司として集落の最上位にあり、クシャトリヤが支配層を形成し、バイシャとシュードラが農耕や手工業などの生産にあたりというヴァルナ社会が形成されていったが、これらは後のカースト制と言われる身分制度として定着したわけではなく、長くその関係は流動的であった。アーリア人社会がガンジス川中・下流に広がるにつれて社会は多様化していったので、バラモンたちは自己の権威を維持するため、ヴェーダ聖典の補強に努めるようになった。そこで生まれたヴェーダ聖典の補助文献が律法経(ダルマスートラ)であり、四ヴァルナの教義と信徒の生活法を定めたもので、後のグプタ朝時代に『マヌ法典』として集大成される。理想の「四住期」 律法経(ダルマスートラ)では、上位三ヴァルナ(バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ)を再生族とし、再生族に生まれた男性は十歳前後に入門式をあげ、バラモン教師の家に入って禁欲かつ勤勉にヴェーダ聖典を学び(学生期)、それを終えたものは家業を継ぎ、結婚して華頂としての務めを果たし(家住期)、老齢に達すれば家業を息子に譲って家を出て森に入り、俗世に煩わされることなく清浄な生活を送り(林住期)、さらに人生の完成を求めるものは森を出て托鉢乞食しつつ死を迎えるまで遍歴する(遊行期)という「四住期」を理想とするようになった。こうしてヴェーダの学習や父祖伝来の仕事を継承するというバラモン教の価値観が確立していった。
ウパニシャッドと新しい宗教のめばえ
しかし、バラモンの教えは次第に保守的、形式的になっていった。それに対してバラモンが内面的な思索を行い、をれを師から弟子に伝えるという形で真理の探究を進める動きが出てきた。それがヴェーダ文献の一つとしてまとめられ、ウパニシャッド(奥義書)と言われるようになった。また、特に東方のガンジス川流域で商業都市が興ってくると、新しい宗教運動としてまずジャイナ教が興った。ジャイナ教の教祖のヴァルダマーナはクシャトリヤの出身で、自らの修行によって悟りを開き、輪廻転生からの解放を説いた。またガウタマ=シッダールタは苦の原因を追及して諸行無常という真理に到達して仏教を開いた。彼らはバラモン教の形式化に対する、新しい宗教運動として広く受け入れられていった。