パウルス3世
16世紀のローマ教皇。イギリス国王ヘンリ8世を破門、トリエント公会議を開催するなどカトリック改革(対抗宗教改革)を推進。またミケランジェロに「最後の審判」を描かせたルネサンスの後援者の一人でもあった。
第220代ローマ教皇(在位1534~49)でパウロ3世とも表記する。宗教改革期のローマ教皇として、カトリック改革(対抗宗教改革)を進めた。
イギリス王ヘンリ8世を破門に
イギリスのヘンリ8世が離婚問題によってローマ教皇庁と対立し、1534年には首長法を制定して自らをイングランド国教会の首長とすると、パウルス3世はヘンリ8世をローマ教皇の権威を否定するものとして1538年に破門した。 → イギリス宗教改革に対する反撃。カトリック改革の推進
1542年にはローマに宗教裁判所を設置して異端の取り締まりを行った。1545年から63年まで18年かかったトリエント公会議を召集し、カトリックの教義と教皇の権威の確立を図った。もっとも会議の途中で死去している。1540年にイエズス会を承認したのもこの教皇である。 → カトリック改革(対抗宗教改革)の推進。ルネサンスの保護者
また、この時期はルネサンスの中心がローマに移っており、ミケランジェロがシスティナ礼拝堂に最後の審判(1534~41年)を描いたのもこの教皇の時である。またパウルス3世は1546年には年老いたミケランジェロに、サン=ピエトロ大聖堂の大改修の継続を命じている。このようにローマ教皇パウルス3世はルネサンスの後援者の一人であった。