エネルギー革命 第1次/第2次
産業革命期に始まり19世紀に進行した、木炭から石炭へのエネルギー源の変化。世界を急速に工業化するとともに、戦争や環境にいたる激変をもたらした。20世紀には石油や電気エネルギーに転換した。
第1次エネルギー革命
18世紀のイギリス産業革命の展開において、19世紀に進行した、燃料(エネルギー源)の中心が、それまでの木炭から、石炭に移行した変革のことを第1次エネルギー革命という。ワットによって改良された蒸気機関が普及し、その燃料として石炭が使われたこととと、ダービー父子などの発明したコークス製鉄法によって、石炭が製鉄業の燃料とされたことが石炭の需要が急増した理由である。さらに鉄道や蒸気船のエネルギー革命の意義
18世紀までは、人口と産業の成長は天然資源に依存するという環境によって制約されていた。特に土地は食料資産だけでなく、あらゆる製造業の原料の主要な源泉であったため、土地の生産性が成長に限界を設けていたのだった。(引用)このように、衣食住・燃料・動力という経済活動の基本的要素が、主として植物や動物に依存して、土地の生産性に根本的に制約されていた時代を「有機物依存経済」と呼ぶ。産業革命は、資源やエネルギーの観点からすると、薪炭にかわって石炭コークス、人力や畜力ないしは風水の力にかわって蒸気というかたちで、高度の有機物依存経済から「鉱物依存経済」への意向の画期となった。<長谷川貴彦『産業革命』2012 世界史リブレット 山川出版社 p.56>エネルギー革命という鉱物依存経済への移行によって、これまでの数世紀において人口と産業の成長の足かせになっていた要因が除去されたことによって、マルサスが1798年の『人口論』で危惧していた、人口の増加が食糧生産をうわまわることが貧困の要因となるという「マルサスの罠」から解放されることとなった。
石炭という新たなエレルギー源が産業、暖房、調理のための燃料を供給、土地は拡大する産業部門が必要とする人口に食料を提供するために利用されることになった。<長谷川貴彦『同上書』 p.56>
近年、産業革命についてはその意義について見直しが進み、評価もかつてのような礼賛はされなくなっているが、その中でのエネルギー革命の役割については再評価する見解が多くなっている。 → イギリス産業革命の再評価
環境破壊
このエネルギー源の薪炭から石炭への転換は、イギリスでは木材の伐採が進んで森林が激減するという環境破壊が進み、薪炭が高騰し、代替エネルギーが必要となった結果としてもたらされた。たまたまイギリスでは石炭資源が豊かであったことから、その転換が可能であったと言うこともできる。しかし、イギリスの森林は二度と戻ることはなかった。現在のイギリス国土にはほとんど森林が残っておらず、都市郊外に行けば見わたす限りの畑と牧場である。これは第1次囲い込みの進行と共に、17世紀に森林が家庭用燃料および製鉄用薪炭として伐採されたためである。1800年ごろを境に蒸気機関と石炭コークス製鉄が普及して、森林伐採はストップされたが、それで環境破壊は「一時的に」終わったに過ぎない。第2次囲い込みによる森林や入会地の消滅がそれに続いた。森林減少と石炭の消費の急増が二酸化炭素の増大というより深刻な環境破壊をもたらしていることは言うまでもない。第2次エネルギー革命
石炭は近代社会を作り上げる上で最も重要なエネルギー源となったが、第二次世界大戦後の1950年代以降は石油がより高いエネルギー効率と多面的な利用価値によって急速に利用されるようになり、石炭から石油へという第2次エネルギー革命が起こり、石炭はエネルギー主役の座から降りた。しかし、中国など発展途次にある地域では依然として使用されている。なお、石炭も石油も化石燃料としては共通しており、その大量の使用は、二酸化炭素を発生させ、地球温暖化など環境問題をもたらしたとして、現在は脱石油、脱化石燃料の必要が強くなっている。