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王政廃止(フランス)

1792年9月21日、フランスの国民公会が決議。ブルボン朝王政が終わり、フランス最初の共和政(第一共和政)となった。

 1792年9月21日フランス国民公会が、全会一致で王政の廃止を決議した。これによって、ブルボン朝は消滅し、第一共和政が成立し、ルイ16世はこの日から一般人(ルイ=カペーと言われた)となった。

ルイ16世処刑

 続いて国民公会で前国王ルイ16世としての責任を追及する裁判が問題となり、ジャコバン派は有罪として国王処刑を主張、ジロンド派は王権神授説にもとづいて不起訴を主張した。結局、ジャコバン派の主張が通り、1793年1月ルイ16世は処刑された。

共和制から帝政・王政復活へ

 第一共和政はその後、ジャコバン派独裁による恐怖政治が行われたが、次第に民衆の反発が強くなり、テルミドールのクーデタでロベスピエールが倒され、総裁政府が成立、そのもとで軍事力を背景として台頭したナポレオンブリュメール18日のクーデタで権力をにぎって統領政府を樹立した。そのナポレオンが即位してナポレオン1世となって第一帝政が成立、第一共和政は終わった。

ブルボン復古王政

 1814年にナポレオンが没落すると、ブルボン家のルイ16世の弟ルイ18世(ルイ16世の子のルイ17世がいたが既に死んでいた)が即位してブルボン朝が復活した。この王政復活で復活したブルボン王家の統治(ルイ18世~シャルル10世)を、フランス史では復古王政と言っている。復古王政は七月革命で倒れ、ブルボン朝は最終的に消滅、七月王政を経て共和制が復活する。このようにフランスでは19世紀を通じて、第一帝政→復古王政→七月王政→第二共和政→第二帝政→第三共和政、とめまぐるしく変転することとなる。
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