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第一共和政

フランス革命の過程で1792年に成立したフランス最初の共和政政体(1792~1804年)。男性普通選挙で選ばれた国民公会において王政廃止を決議して実現。急進的なジャコバン派独裁政権の下で、封建制の無償廃止など革命が推進されたが、1794年にテルミドールのクーデタでロベスピエールが倒され、穏健な共和派による総裁政府が成立した。しかし、1799年のブリュメール18日のクーデタでナポレオンが権力掌握、1804年に帝政を開始し、共和政は終わった。

 フランス革命は、ブルボン王朝の絶対王政を倒し、その基盤である封建社会を変革する戦いであった。しかし、かならずしも最初からブルジョワジーが権力を奪取して共和政を実現するという目標が定まっていたわけではなかった。革命の当初には封建的特権の廃止人権宣言など、市民の自由と平等を実現させたが、国民議会でめざした政治形態は、王権とも妥協して立憲君主政をめざしたのであり、1791年憲法でまずそれを実現させた。その後、革命は共和政に一気に進展して1792年に第一共和政が実現する。しかし実現した共和政の苦悩の中から、ロベスピエールの独裁という事態を迎え、さらに反動として総裁政府、ナポレオンの登場へと向かい、共和政は否定されて帝政へと転換し、フランス第一共和政は約12年で終わった。
 共和政は、古代のローマ共和政を別とすれば、イギリスのピューリタン革命で、1649年に成立した共和政(1660年には王政復古となる)、1776年のアメリカ独立革命で出現したアメリカ合衆国に次ぐものであった。

立憲君主政から共和政へ

 1791年憲法の立憲君主政のもとで立法議会が発足したが、王と議会は対立を続け、国王側の対応のまずさもあって、急速に王政打倒の方向に向かうこととなった。1792年の8月10日事件で、再びパリで革命の気運が盛り上がり、サンキュロットを主力とした革命派民衆がテュイルリー宮殿を襲撃して国王を幽閉、一気に立憲王政派であるフイヤン派は排除され、男性普通選挙による国民公会が成立した。
王政の廃止 1792年9月、フランス革命軍がプロイセン・オーストリアの革命干渉軍に勝利したヴァルミーの戦いの翌日、1792年9月21日国民公会王政の廃止を決議し、フランスは共和政に移行し、翌22日から「フランス共和国第1年」と称することになった。 翌93年1月には前国王ルイ16世が処刑された。 → 第一共和政
 フランスで最初の共和政治である第一共和政は国民公会のもとで、展開された。穏健派のジロンド派は上層ブルジョワジーの支持を受けて、革命のこれ以上の進展を望まなかったが、ロベスピエールらの山岳派は、サンキュロットといわれた都市下層民の支持を受けて、さらに革命の徹底をはかろうとした。両派は激しく対立したが、1793年憲法の制定(実施はされず)とともに、同年、ジロンド派は国民公会から追放され、ロベスピエールらが権力をにぎった。このころから、その支持者はジャコバン派といわれるようになり、ロベスピエールは公安委員会を拠点にジャコバン派独裁といわれる政治を展開した。

ジャコバン派独裁政権

 ジャコバン派政府は封建地代の無償廃止最高価格令徴兵制革命暦などの革命的諸政策を実施させていった。ロベスピエールは反対勢力を次々と反革命であるとしてギロチンにかけ、恐怖政治といわれた。
テルミドールのクーデタ ところが、封建制の無償廃止が実現したことから農民層や小市民層が次第に保守化し、革命のこれ以上の進展を望まなくなくり、保守化していく中、恐怖政治に対する反発もあり、1794年7月のテルミドールのクーデタが起こって、ロベスピエールらジャコバン派は失脚、共和政は動揺することになった。

総裁政府

 翌年、1795年憲法によって男子普通選挙は否定され、納税額による制限選挙によって選出された議員が構成する議会で、行政権を持つ5人の総裁を選ぶという総裁政府が成立した。共和政は維持されたが、前の憲法からはかなり後退した規定となっている。
 総裁政府のもとで、共和政に対する左右からの揺さぶりが続き、同時に他のヨーロッパの君主国からのフランス革命に対する干渉が強くなり、軍事的な力を持つものによる強力な統治が期待されるという中で台頭したのがナポレオンであった。
ブリュメール18日のクーデタ 彼はイタリア遠征・エジプト遠征などで軍事的成功を収め、権力を志向するようになり、1799年、ブリュメール18日のクーデタによって権力を握り、統領政府を成立させ、自ら第一統領となった。

統領政府

 形の上では共和政が維持された時期であるナポレオンの第一統領時代は、ローマ教皇との和解であるコンコルダート、イギリスとの和平であるアミアンの和約、それにフランス銀行の設立など、政治の安定を実現させると共に、特にナポレオン法典(フランス民法典)を制定してフランス革命の理念を法制化することに成功した。
 しかし、ナポレオンの野心はついに1804年に自ら皇帝ナポレオン1世となり、国民投票によってその承認を得るということによって、第一共和政を終わらせることとなった。

その後のフランス政体の変遷

 その後フランスは、ナポレオンの皇帝時代=第一帝政、ナポレオン没落後のブルボン復古王政、七月革命で成立した七月王政を経て、1848年の二月革命で第二共和政(1848年~1852年)が成立する。第二共和政ではフランスで最初の大統領制を採用し、ルイ=ナポレオンが選挙で選ばれたが、彼は叔父ナポレオンに倣って帝政を復活させて1852年、ナポレオン3世の時代=第二帝政(1852年~1870年)となる。その第二帝政は、普仏戦争の敗北、パリ=コミューンの激動の中で倒れ、1870年(厳密には1875年)から共和政が復活して第三共和政(1870年~1940年)となる。第二次世界大戦中はナチスドイツに服従したビシー政権があったが、戦後成立した第四共和政(1946年~1958年)を経て、ド=ゴール時代に始まるのが現在の第五共和政(1958年~)である。
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