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十二表法

前451年、古代ローマで慣習法を初めて成文法にしたもの。平民の身分闘争の成果であり、これ以後のローマ法の出発点となった。

 それまでローマの法律は神官に独占され、神官は貴族が独占していたため、平民は法律を知ることが出来なかった。聖山事件ののちも身分闘争を続けていた平民は、元老院に法律の公開を要求、元老院もその要求を容れて、議員3名をギリシアに派遣して立法者ソロンの業績を調査させ、帰国後十名からなる立法委員会が前451年に「十二表法」を編纂した。これがこれ以降の「ローマ法」の基本となるものである。<モンタネッリ『ローマの歴史』中公文庫p.64>
 十二枚の板(材質は不明)に書かれたので十二表法という。内容は旧来の慣習法を明文化したものであるが、それまで神官(貴族階級から選ばれる)が独占していた訴訟日程や手続きの決定に市民が関与し、市民の手による裁判が行われるようになった。つまりこれによって、「神のお告げ」としての裁判ではなく、法によって裁く裁判が始まったと言え、貴族と平民の身分闘争の中での、平民の権利を守る市民法が成立し、法の前においては貴族と平民は対等となったたということができる。ただし、貴族と平民の通婚は禁止されていたので、後にその点がカヌレイウス法で是正される。市民法は主に民法の分野で発達し、さらに帝政時代にはローマ市民以外に適用される万民法に変質していく。
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第1章3節 ア.ローマ共和政