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ユスティニアヌス

6世紀の東ローマ帝国の皇帝。地中海世界を再統一。

ユスティニアヌス帝
隋臣を従えたユスティニアヌス帝
ラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂の
モザイク画
6世紀に、かつてのローマ帝国の領土を回復した、東ローマ()皇帝。在位527~565年の約40年。その間、領土拡張に努め、534年にヴァンダル王国、555年に東ゴート王国を滅ぼし、さらに西ゴート王国を攻撃してイベリア半島南部を占領、地中海域の全域に対する支配を回復した。イタリアにはラヴェンナに総督府を置いて支配した。東方ではササン朝ペルシアホスロー1世と戦い、領土は拡張できなかったがその侵入をくい止めた。また、国内産業の保護に努め、東方からの知識である養蚕を奨励した。帝国の支配機構を整備するため法典の編纂を命じ、『ローマ法大全』を完成させた。そして、東ローマ帝国の繁栄を象徴する、ハギア=ソフィア聖堂をコンスタンティノープルに建造した。彼は専制君主としてキリスト教を統治の理念としたため、教会の教義論争を自ら裁断し、異端(エジプトのコプト教会派やシリアの単性論者など)を厳しく取り締まり、領内のユダヤ教とユダヤ人の権利を制限して迫害を加えた。またアテネでプラトン以来900年以上続いていたアカデメイアを閉鎖した。
ユスティニアヌスの時にかつてのローマ帝国が再現されたため、「大帝」と称賛されるが、彼の死後は、財政の逼迫もあって、獲得した領土は次々と失うこととなり、再びギリシア・小アジア・バルカン半島を中心とした「ビザンツ帝国」となっていく。

Episode ユスティニアヌス大帝の皇后テオドラ

 皇后テオドラは動物の調教師の娘で、ダンサーだったこともある女性であったが、大帝に劣らぬ政治家でもあった。大帝のローマ領奪回のための戦費をまかなうため、国民に重税を課したが、532年、増税に反撥したコンスタンティノープル市民が反乱を起こし競馬場に立てこもった。彼らは「ニカ(勝利せよ!)」と叫んで暴動を起こしたのでこの反乱を「ニカの乱」という。反乱でハギア=ソフィア聖堂も焼け落ち、絶望したユスティニアヌス帝は逃亡しようとしたが、そのとき皇后テオドラは「逃亡するよりも帝衣のまま死んだ方がましです!」と帝を励まし、勇気を取り戻した帝は反乱を鎮圧できたという。皇后テオドラの肖像はラヴェンナのサン=ヴィターレ聖堂に大帝とともに描かれている。
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ノートの参照
第6章2節 ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡
書籍案内

井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』
講談社学術文庫