公会議
ニケーア公会議に始まり、以後21回開催された、ローマ=カトリック教会の教義を決定する最高会議。
キリスト教のローマ=カトリック教会において、宗教上の教義や教会法の規定を決定する最高議決機関。特に教義上の正統性を守り、異端を排除する、世界市場有用な会議が幾度か開催されている。公会議とは、ラテン語で concilium 、英語で council のことで、教会会議または総教会会議と訳されることもある。また高校教科書などでは、「宗教会議」と言われることもあり混用されているが、厳密には分けることが正しいという説明もあるので注意しよう。
・宗教会議は「各地域の大司教や司教を中心に、教区の司祭や修道院長などがおこなう会議」のことで、教会会議ともいう。
と、分けて説明されている場合もある。これによれば、キリスト教(カトリック)世界全体の会議は「公会議」、地域的な教会の会議を「宗教会議、教会会議」と呼び分けている。<朝倉文市『修道院にみるヨーロッパの心』1996 世界史リブレット 山川出版社>
注意 公会議と宗教会議は区別しよう 注意深く見ると、十字軍の派遣を決めたクレルモンでの会議が挙げられていない。どうやらこれは広く言えば公会議にはいるが厳密には「教会会議」あるいは「地方会議」と位置づけられているらしい。それ以外にも1409年のピサ公会議や1431年のバーゼル公会議というのもある。公会議と宗教会議はとらでも良さそうなものだが、きちんと分けたほうがより正確である。ここでは、教会側の定めた21回を「公会議」とし、それ以外は「宗教会議」と表記することにし、クレルモン会議は「クレルモン宗教会議」とする。山川出版の詳説世界史でも、ニケーア、エフェソス、カルケドン、コンスタンツ、トリエントはいずれも「公会議」、クレルモンは「宗教会議」と分けている。
公会議と宗教会議の違い
・公会議は、「教皇が全教区の枢機卿、司教、神学者などを集めて、教会の教義や規則などの重要事項についておこなう最高会議」・宗教会議は「各地域の大司教や司教を中心に、教区の司祭や修道院長などがおこなう会議」のことで、教会会議ともいう。
と、分けて説明されている場合もある。これによれば、キリスト教(カトリック)世界全体の会議は「公会議」、地域的な教会の会議を「宗教会議、教会会議」と呼び分けている。<朝倉文市『修道院にみるヨーロッパの心』1996 世界史リブレット 山川出版社>
21回の公会議
公会議はローマ=カトリック教会公認のものでは今まで21回開催されたことになっている。煩雑だが、厳密を期すため、公会議とされる21回を挙げてみよう。- 第1回 325年 第1ニケーア …… アタナシウス派を正統としアリウス派を異端とする。
- 第2回 381年 第1コンスタンティノープル … テオドシウス帝が招集。三位一体説を正統教義として確立。
- 第3回 431年 エフェソス … ネストリウス派を異端とする。
- 第4回 451年 カルケドン … 単性説を異端とする。
- 第5回 553年 第2コンスタンティノープル … ユスティニアヌス帝が招集。単性説と両性説の調停に失敗。
- 第6回 680~681年 第3コンスタンティノープル … 単性説を異端とすることを確認。
- 第7回 787年 第2ニケーア … 聖像禁止令を否定。
- 第8回 869~870年 第4コンスタンティノープル
- 第9回 1123年 第1ラテラン … ヴォルムス協約を確認。
- 第10回 1139年 第2ラテラン … 教皇選挙法を規定。
- 第11回 1179年 第3ラテラン … 同上。
- 第12回 1215年 第4ラテラン … インノケンティウス3世が召集。異端取り締まりの強化、ユダヤ教徒・イスラーム教徒のバッジ着用義務を決定その他。
- 第13回 1245年 第1リヨン
- 第14回 1274年 第2リヨン
- 第15回 1311~1312年 ヴィエンヌ
- 第16回 1414~1418年 コンスタンツ … 教会大分裂の解消。ウィクリフ、フスを異端と断定。
- 第17回 1439~1445年 フィレンツェ
- 第18回 1512~1517年 第5ラテラン … 教会改革を協議。
- 第19回 1545~1563年 トリエント(トレント) … 宗教改革後のカトリック教会の再建を協議。
- 第20回 1867~1870年 第1ヴァティカン … 教皇不謬性を宣言。
- 第21回 1962~1965年 第2ヴァティカン
注意 公会議と宗教会議は区別しよう 注意深く見ると、十字軍の派遣を決めたクレルモンでの会議が挙げられていない。どうやらこれは広く言えば公会議にはいるが厳密には「教会会議」あるいは「地方会議」と位置づけられているらしい。それ以外にも1409年のピサ公会議や1431年のバーゼル公会議というのもある。公会議と宗教会議はとらでも良さそうなものだが、きちんと分けたほうがより正確である。ここでは、教会側の定めた21回を「公会議」とし、それ以外は「宗教会議」と表記することにし、クレルモン会議は「クレルモン宗教会議」とする。山川出版の詳説世界史でも、ニケーア、エフェソス、カルケドン、コンスタンツ、トリエントはいずれも「公会議」、クレルモンは「宗教会議」と分けている。
公会議首位説
ローマ教皇の権威が動揺した中世末期、教会の大分裂を克服しようとして1414~18年に開催されたコンスタンツ公会議は、公会議首位説を打ち出した。これはローマ=カトリック教会の最高権威は教皇ではなく、公会議にあるというものであった。教皇と雖も公会議の決定には従わなければならないということなので、これ以降は教皇側の巻き返しが始まり、宗教改革というカトリックの危機の時代となると逆に「教皇不謬説」、つまり教皇は絶対誤ることはないという信念、が形成され、教皇に絶対服従するイエズス会や、教皇や教会批判はすべて魔女の仕業として排撃するドミニコ派などが生まれてくる。