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テオドシウス帝

4世紀末のローマ帝国の皇帝。その死後、帝国は東西に分裂した。

ローマ帝国の東の正帝としてゴート人の侵入などに対応、西の正帝が殺されるとその支配権も収め、394年全ローマ帝国を再統一した。しかし395年、その死にあたり、息子のホノリウス(16歳)を西ローマ皇帝に、同アルカディウス(18歳)に東ローマ皇帝に指名し、ローマの東西分裂が確定した。テオドシウス自身はローマには一度も行ったことがなく、あくまで中心は東のコンスタンティノープルにあった。またテオドシウスは392年、異教徒禁止令を出し、アタナシウス派のキリスト教を国教とした。

Episode テオドシウスの懺悔

 テオドシウス帝は390年、ギリシアのテサロニケで暴動を起こした住民7000人を殺害した。ミラノ司教アンブロシウスは、皇帝がその罪を懺悔しなければ聖餐式(キリスト教の重要な儀式)を許さないと申し渡す。やむなくテオドシウスはアンブロシウスに従ってミラノの教会で懺悔し、その後その影響を強く受けるようになった。その結果が、キリスト教国教化につながる。なおアンブロシウスは、教父アウグスティヌスの師としても有名。<J.M.ロバーツ『世界の歴史3 古代ローマとキリスト教』1976 創元社 p.187>
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ノートの参照
第1章3節 カ.西ローマ帝国の滅亡