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アルメニア教会

キリスト単性説に立つ独自の教会。現在も西アジア各地に存続。

アルメニアは小アジアの現在のトルコ西部からアルメニア共和国にかけてのアルメニア高原(アララト山の周辺)一帯を言う。アルメニア人の間に早い時期にキリスト教が広がっていたが、301年に司教グリゴリーによってアルメニア教会が創設された。アルメニア使徒教会、アルメニア正教ともいわれ、キリスト教の正統教義とされたローマ=カトリックの三位一体説と対立したキリストの単性説を信奉する教会であった。単性説は451年のカルケドン公会議で異端とされたが、その後、エジプトのコプト教会や、エチオピア(アクスム王国)、シリア(ヤコブ派)などとともにアルメニア教会で信仰され続けた。現在ではアルメニア共和国のエチミアジンに全アルメニア総主教がいて、中東各地に分散しているアルメニア人が各地に管区を設けている。エチミアジンにはアルメニア教会の信者の聖地となっており、巡礼者が多い。なお、イェルサレムの旧市街の一角にもアルメニア教会信者の居住区が、ユダヤ教徒・カトリック教徒・イスラーム教徒の各居住区と併存している。<村上重良『世界宗教事典』講談社学術文庫 p.211 など>
 11世紀後半のセルジューク朝の小アジア進出以後、アルメニアもイスラーム強制力の政治支配を受けるようになる。14世紀にはオスマン帝国が小アジアに成立する。オスマン帝国は他のイスラーム国家と同様に、他の宗教に対して納税の義務を果たすかぎり、その信仰を認めるという寛容策を採った。特にコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼしてからは、ミッレト制という宗教自治体制度をとり、アルメニア教会もそれに加えられ、信仰の自由と自治を守った。
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第1章3節 ク.迫害から国教化へ