印刷 | 通常画面に戻る |

カルケドン公会議

451年、東ローマ帝国で開かれたキリスト教の公会議。単性説を異端と裁定し、三位一体説が正統として確立する。

 451年、東ローマ皇帝マルキアヌスが主催した公会議。カルケドンはコンスタンティノープルの対岸のアジア側にある。この公会議では単性説が問題とされ、三位一体説をとるローマ司教レオ1世の要求によって、単性説は異端とされた。これによって、ローマ教会の三位一体説が、キリスト教の唯一の正統な教理として確定した。またローマ司教の権威も高まり、ローマ司教は首位権を主張してローマ教皇と言われるようになる。

単性説を異端とする

(引用)エフェソス公会議後、キリスト単性説がさらに有力となったので、451年に最後の決着をつけるため、カルケドン公会議が皇帝マルキアヌス(在位450~457)によって召集された。この会議も混乱のなかにはじめられ、怒号と叫喚に包まれて進められたが、ついに教理定式が「カルケドン信条」として宣言された。
 この信条は、「キリストは真に神であり、真に人であること、神性によれば父なる神と同質で、人性によれば我ら人間と同質であること」を改めて確認し、この両性がどのように存在するかについてば、「両性は一つの人格、一つの本質の中に並存する」とうたわれた。すなわち、両性は融合した形で一つの本質となって存在するのではなく、両性の本質ははそれぞれ完全な形で、それぞれ別個に保存されて並存する、と理解されたのである。‥‥
 この決定にはローマの司教レオ1世(在位440~461)の圧力が大きく働いたから、教義的にこの「両性説」になお承服できない「単性説」者の反対は、いきおい正統派教会から分離する連動に走ることになった。皇帝ユスティニアヌス(在位527~565)は、単性説論者を正統派と和解させようと努力したけれども、彼らの分離運動を阻止することはできなかった。今日なお残存しでいるエジプトのコプト教会やシリアのヤコプ派教会、及びアルメニア教会は、この時発生した分離運動の流れに続くものである。<半田元夫『キリスト教史Ⅰ』p.200-201>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第1章3節 ク.迫害から国教化へ