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ホラズム=シャー国

西トルキスタンにあったトルコ系国家。イスラーム化し、13世紀には中央アジアで最も栄えたが、チンギス=ハンに征服され、1231年に滅亡した。

 12世紀末に西トルキスタンのアム川下流域に勃興して大国となったが、モンゴルによって滅ぼされたトルコ系民族のイスラーム教国。ホラズムというのは中央アジアのアラル海にそそぐアム川の下流域地方を示す地名。アラビア語ではフワーリズム(川の向こうの地という意味のマー=アワー=アンナフルともいう)。8世紀以降イスラーム化し、1077年、セルジューク朝のトルコ人マムルーク(トルコ人奴隷)、アヌシュ=テギンがこの地の総督に任命され、ホラズム=シャーを称する。

ホラズム=シャー国の全盛期

 その後セルジューク朝から独立し、ホラズム地方のウルゲンチを本拠に、13世紀に急速に台頭、7代目のアラー=アッディーン=ムハンマド(在位1200~1220)の時に最盛期となり、1209年にカラ=キタイ(西遼)からサマルカンドブハラなどを奪い、さらにゴール朝からアフガニスタンを奪取し、イランにも進出して中央アジアから西アジアに及ぶ強国を建設した。このころは40万の軍勢を動員することの出来、13世紀初頭の東方イスラーム世界の最強国であった。

チンギス=ハンに征服される

 しかし、同じころ東方のモンゴル高原ではモンゴルチンギス=ハンが台頭してきた。チンギス=ハンはホラズムとの交易を開くため隊商を派遣したところ、アラー=アッディーン=ムハンマドがそれを拒否し、隊商を殺害した。それに対する報復として、1219年からチンギス=ハン自らホラズムに大遠征を行い、その攻撃は1225年までの7年間続いた。ホラズムは内部分裂もあって敗れ、マー=アワー=アンナフルを失った。その後、王子ジャラール=ウッディーンが王朝再建を企てチンギス=ハンに抵抗したが、1231年に滅亡した。
 ホラズム地方は大半がイル=ハン国、北部をチャガタイ=ハン国が支配することとなった。さらにティムール帝国の支配を受けた後、ウズベク人の三ハン国のひとつ、ヒヴァ=ハン国が1512年に成立する。
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ノートの参照
第6章3節 ア.モンゴルの大帝国