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カイロ会談

第二次世界大戦中の1943年11月、アメリカ・イギリス・中国三国の首脳会議。対日戦争で協議し、カイロ宣言を発表した。

 第二次世界大戦連合国の戦後処理構想の一環として、1943年11月23日~27日、エジプトのカイロで開催された会談。アメリカ大統領フランクリン=ローズヴェルト、イギリス首相チャーチル、中国主席蔣介石が参加した。会談の議題が対日戦争であったので、日ソ中立条約を締結していたソ連のスターリンは参加しなかった。
 カイロ会談は、同月初めに日本の東条英機内閣が、大東亜共栄圏に組み込んだアジア諸国の代表を東京に招集して大東亜会議を開催し、11月6日には「大東亜共同宣言」を発表して、戦争目的を「アジア解放」に置いたことに対抗する意図があった。
 米英中の三国は、日本との戦争への対応について話し合い、チャーチルはインド・ビルマ方面の重視を主張したが、ローズヴェルトが蔣介石援助を優先することを譲らなかった。日本の無条件降伏後の扱いについては、中国大陸での領土の返還、朝鮮の独立などで合意に達し、12月1日、カイロ宣言として発表された。終了後直ちに場所をテヘランに移し、蔣介石は抜けてスターリンが加わり、主としてヨーロッパ戦線における第2戦線問題とポーランド問題を話し合うため、テヘラン会談を続けた。

カイロ宣言

1943年12月、米英中三国首脳のカイロ会談で合意され発表された日本との戦争の戦後処理に関する宣言。

 1943年12月1日、カイロ会談の合意事項として発表された、アメリカ大統領F=ローズヴェルト、イギリス首相チャーチル、中国主席蔣介石が署名した、無条件降伏後の日本に対する処理方針についての宣言。その内容は、
1)日本は満州、台湾、澎湖島を中国に返還すること。
2)日本は1914年以来獲得した全ての太平洋上の島嶼を手放すこと。
3)朝鮮は、適当な時期に独立すべきであること。
などが述べられており、後のポツダム宣言のもとになった。なお、太平洋戦争開戦前の1941年4月~11月の日米交渉ではふれられていなかった、日本の植民地朝鮮の独立が加えられていることに注意。
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ノートの参照
第15章5節 エ.ファシズム諸国の敗北