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クリュニー修道院

11世紀の修道院運動の中心となったフランスの修道院。

 910年、フランスのブルゴーニュ地方に建てられ、11世紀の修道院改革運動の中心となったローマ=カトリックの修道院。この修道院を中心に世俗の権力から離れてローマ教皇に直結する修道院組織をつくった。クリュニー修道院では厳格な戒律の厳守、霊性の向上などをかかげ、本来の修道院のあり方を回復させた。その改革の主張は「クリュニー精神」と言われ、クリュニー出身者が上位聖職者として改革の先頭に立つようになった。その改革の矛先は、俗権の最高峰である皇帝に向けられ、それのもつ聖職叙任権を教会側が奪回することを目指すものであった。11~12世紀にはクリュニー修道院が2000以上の修道院を組織化し、大きな勢力となった。

グレゴリウス7世

 1077年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ4世を、カノッサの屈辱で屈服させ叙任権闘争を展開したローマ教皇グレゴリウス7世は、クリュニー修道院出身であった。

クリュニー修道院の衰退

 このころがクリュニー修道院の全盛期であったが、巨大化・権威化するにつれて、その権勢を背景とした修道士の華美な生活を批判されるようになった。その批判を行い、より質素な修道院生活を復活させようとしたのが12世紀に興ったシトー派修道会であった。13世紀にはフランチェスコ会やドミニコ会などの托鉢修道会が活発に活動するようになり、クリュニー修道院は次第に衰微していった。 → 修道院運動
 クリュニー修道院の建物は、ロマネスク様式の建築様式の代表例とされていたが、フランス革命に際して大部分が破壊され、その後は荒廃し、現存するのはその一部に過ぎない。
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ノートの参照
第6章1節 ケ.教会の権威