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グレゴリウス7世

11世紀後半のローマ教皇。叙任権闘争でハインリヒ4世と抗争。

11世紀後半のローマ教皇クリュニー修道院出身の教皇として、神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世をカノッサの屈辱で屈服させるなど、叙任権闘争をすすめ、教皇権の確立に大きな役割を担った。しかし実際には最終的にハインリヒ4世に敗れ、ローマを追われる。
1073年、前教皇アレクサンドル2世が死去した時、葬儀を取り仕切っていたヒルデブラントに対し、突然民衆が「ヒルデブラントを教皇にしろ!」という声が起こり、熱狂した民衆によって聖ペテロ教会につれこまれたヒルデブラントは教皇になることを承諾した。彼がグレゴリウス7世であり、レオ9世以来の教皇に使えてきたクリュニー修道院出身の改革派であった。

カノッサの屈辱

 1075年、グレゴリウス7世は、いかなる俗人による聖職叙任も、聖職売買と同じであるとして禁止し、その旨を神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世に伝えた。これに対して当時23歳のハインリッヒは承伏せず、逆にドイツの司教たちを集め、グレゴリウス7世は選挙法の規定に従っていないとしてその廃位を決議した。こうして、聖職叙任権をめぐる教皇と皇帝の争いは、決定的な対立となった。1076年、ハインリッヒ4世を破門して窮地に追い込み、翌年、「カノッサの屈辱」で屈服させたが、その後、勢いを盛り返したハインリヒ4世によって1082年ローマを追われ、南イタリアのノルマン侯ロベルト=ギスカルド(ルッジェーロ2世の兄)を頼り、サレルノで失意のうちに亡くなる。

Episode グレゴリウス7世とカノッサの女領主との疑惑

 グレゴリウス7世が、ハインリヒ4世を迎えたカノッサは、北イタリアのトスカナ伯マティルダという女領主の居城であった。カノッサの女領主マティルダは女傑として知られ、父の代から神聖ローマ皇帝とは対立しており、一方、当時離婚問題を抱えており、教皇グレゴリウス7世にすがってその離婚を認めてもらい、両者の関係は深いものがあった。両者は不倫の関係にあるといううわささえあった。グレゴリウス7世に破門されたハインリッヒ4世は、当然その関係を非難した。<藤沢道郎『物語イタリア史』中公新書>
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第6章1節 ケ.教会の権威
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藤沢道郎
『物語イタリア史』
中公新書