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ウルバヌス2世

11世紀末に十字軍運動を呼びかけたローマ教皇。

11世紀末のローマ教皇(在位1088年~99年)で、1095年のクレルモン宗教会議で、ヨーロッパの国王、諸侯に対し、十字軍運動を呼びかけた。ウルバン2世ともいう。フランス人で、クリュニー修道院の出身。グレゴリウス7世の信任厚く、その補佐を務め、改革派の中心となる。当時、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世との叙任権闘争はさらに継続中であり、教皇となったウルバヌス2世は、ハインリッヒ4世が立てた対立教皇クレメンス3世を廃し(1093年)、教皇権の強化に努めた。1095年、フランスのクレルモン宗教会議で十字軍の派遣を呼びかけたが、それは皇帝から奪った西ヨーロッパの主導権を確実にし、同時にビザンツ皇帝の要請に応えて十字軍を派遣することによって、1054年以来の教会の東西分裂を再統合しようという意図もあった。そして彼の熱狂的な演説は、西ヨーロッパのキリスト教徒を十字軍運動に奮い立たせ、その当初の成功は教皇権の確立をもたらすこととなった。

ウルバヌス2世の演説 乳と蜜の流れる国

 『おお、神の子らよ。あなた方はすでに同胞間の平和を保つこと、聖なる教会にそなわる諸権利を忠実に擁護することを、これまでにもまして誠実に神に約束したが、そのうえ新たに‥‥あなた方が奮起すべき緊急な任務が生じたのである。‥‥すなわち、あなた方は東方に住む同胞に大至急援軍を送らなければならないということである。かららはあなた方の援助を必要としており、かつしばしばそれを懇請しているのである。その理由はすでにあなた方の多くがご存じのように、ペルシアの住民なるトルコ人が彼らを攻撃し、またローマ領の奥深く、”聖グレゴリウスの腕”とよばれている地中海沿岸部(ボスフォラス海峡、マルモラ海沿岸をさす)まで進出したからである。キリスト教国をつぎつぎに占領した彼らは、すでに多くの戦闘で七たびもキリスト教徒を破り、多くの住民を殺しあるいは捕らえ、教会堂を破壊しつつ神の国を荒しまわっているのである。これ以上かれらの行為を続けさせるなら、かれらはもっと大々的に神の忠実な民を征服するであろう。されば、‥‥神はキリストの旗手たるあなた方に、騎士と歩卒をえらばず貧富を問わず、あらゆる階層の男たちを立ち上がらせるよう、そしてわたしたちの土地からあのいまわしい民族を根だやしにするよう‥‥くりかえし勧告しておられるのである。』これはシャルトルの修道士フーシェの年代記が伝えるクレルモン公会議における教皇ウルバヌス2世の演説の一説。さらに教皇は、『あなた方がいま住んでいる土地はけっして広くない。十分肥えてもいない。そのため人々はたがいに争い、たがいに傷ついているではないか。したがって、あなた方は隣人のなかから出かけようとする者をとめてはならない。かれらを聖墓への道行きに旅立たせようではないか。「乳と蜜の流れる国」は、神があなた方に与えたもうた土地である‥‥』と語り、『かの地、エルサレムこそ世界の中心にして、天の栄光の王国である。』と獅子吼した。それを聴いた民衆から『神のみ旨だ!!』というさけびが起こったという。このウルバヌスの演説の原典は失われたが、1905年発表のアメリカの歴史家ムンロの研究によってほぼ復元された。<橋口倫介『十字軍』岩波新書 P.43-51>