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キリスト教会の東西分裂

キリスト教の東西のローマ教会とビザンツ教会の対立から分離へ。

キリスト教の世界において、当初は互いに五本山のなかの一つであったローマ教会(西方教会)とコンスタンティノープル教会(東方教会)は教会の首位権(首位教会としての権利)をめぐって争うようになった。両者の対立は、726年のビザンツ帝国皇帝レオ3世の聖像禁止令によって深刻となり、ローマ教皇フランク王国と結んだことによって決定的となった。両者の対立はが続き、ついに1054年に、違いに相手を破門することで決裂した。両者は同じキリスト教とはいえ、まったく別個な信仰内容と形式、教会組織を発展させていく。ローマ教会は、西ヨーロッパを中心に「ローマ=カトリック教会」として、コンスタンティノープル教会は、ギリシアを中心に東ヨーロッパ、ロシアに広がり「ギリシア正教会」として発展していく。

Episode 9百年目の和解

 1054年に決裂し、その後東西の教会は対立を続ける。東方教会がセルジューク=トルコやオスマン=トルコの脅威を受けた時に西方教会に歩み寄り、和解の動きは出たが、結局は和解は成立しなかった。両者の和解が成立したのはなんと9百年以上たった現代の1965年。この年、教皇パウルス6世と総主教アテナゴラスは「互いを正当に認め合い赦免し合う」ことを合意、和解への道が切り開かれた。もちろん、両者の実質的な合同は行われていない。<『ローマ教皇』「知の再発見」双書(創元社)による。>
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第6章1節 オ.カール大帝
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『ローマ教皇』
創元社・双書知の再発見