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ウィクリフ

14世紀イギリスの先駆的な宗教改革者。聖書の英語訳を行う。フス派などに影響を及ぼし、死後、異端として遺体が火刑となる。

14世紀、百年戦争の時期のイギリスに現れた先駆的宗教改革者。オックスフォード大学の神学教授であったが、ローマ教皇が権力争いによって教会大分裂し、教会や修道院の聖職者も豪奢な生活を送っていることに疑問を感じ、教会とはローマ教皇を頂点とした組織のことではなく、救済を約束された人々の集まりそのものであると主張して、教会財産を否定し、聖書に立ち返ることを説くようになる。彼は初めてラテン語の聖書を英語に翻訳したことで知られる。また、教会の儀式である秘蹟(化体説と言って、聖餐の秘蹟においてパンがキリストの肉に、葡萄酒がキリストの血に変化するという説)を本来のイエスの教えではないとして否定し、次第にローマ教皇との対立が深刻になっていった。

ロラード派の活動

 イギリスではウィクリフの影響を受けた信者をロラード派(ロラードとはおしゃべりの意味)といわれ、彼等は貧しい身なりで熱心に農村で説教を行った。ワット=タイラーの乱の時の説教僧ジョン=ボールもそのような一人だった。ワット=タイラーの乱が起きるとウィクリフは直接関係はなかったが1381年にオックスフォード大学を辞任した。

フスとともに異端とされる

 ローマ教会は彼を異端として弾劾していたが、生前に裁判にかけられることはなく、1384年に死去した。彼の思想は大陸にも伝えられ、当時神聖ローマ帝国の領邦の一つであったベーメン(ボヘミア、現在のチェコ)のプラハ大学ではその支持派と反対派が対立し、支持派のフスがさらに教会批判を展開した。フス派の勢力がベーメンで有力になったことを受けて、ローマ教会はこれらの教会改革派に対する弾圧を強め、1414年にコンスタンツ公会議ではフスとともに改めて異端であると断罪し、フスを火刑に処し、ウィクリフの遺体を墓を暴いて火刑にした。同時に大分裂を解消し、ローマ教皇の不謬性を確認して、ローマ教会を建て直そうとした。ウィクリフの思想と運動は、宗教改革の先駆と言うことができるが、16世紀の宗教改革とは直接的に結びつくものではなかった。
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第6章3節 カ.教皇権の衰退