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プラハ大学

1348年にベーメン(現チェコ)のプラハでカール4世が創建した、ドイツ語圏で最古の大学。15世紀初め、ローマ=カトリック教会を批判したフス派の拠点となる。

 中世ヨーロッパで創設された大学の一つで、1348年、神聖ローマ皇帝カール4世が、ベーメン(ボヘミア)の首都プラハに創設した。カール4世はベーメン王を兼ね、ベーメンは領邦の一つであった。神聖ローマ帝国(ドイツ圏)では最初の大学であった(ちなみに2番目が1365年のウィーン大学、3番目が1386年のハイデルベルク大学)。カール4世は若いころパリに滞在したことがあり、プラハ大学の創設はパリ大学をモデルとして、神学、法学、医学、自由学芸の4学部から構成された。

フス派の拠点となる

 1384年に死んだオクスフォード大学の神学者ウィクリフの説をめぐって、プラハ大学は支持派と反対派に分かれて大問題となった。ウィクリフは、本当の教会はローマ教皇が君臨する教会組織のことではなく、死後の救済が予定されている人々の集まりそれ自体であり、それは目に見えるようなものではなくあちことに存在するのだというもので、その考えから財産をもち様々な権力を行使する現世の教会を厳しく批判した。また教会の化体説(パンがキリストの肉となり、葡萄酒がキリストの血となるという聖餐の秘蹟)を大胆に否定した。
 当時、プラハ大学は4学部とは別に、学生の出身地別で、チェコ・バイエルン・ザクセン・ポーランドの「国民団」の組織があり、大学の基本方針は国民団単位で行われていた。国民団のうちチェコ団はウィクリフを支持し、他の三国民団は反対したが支持派で最も積極的だったのが教授であり、学長も務めたフスであった。また当時、カール4世の後を継いでベーメン王となっていたヴァーツラフ4世も、教会が強大になりすぎたことに不満があったので当初はフス派を支持した。その結果、チェコ団の優位が定まり、それに不満なドイツ人教授の多くは大学を去った。

三十年戦争とプラハ大学の苦難

 その後、フス戦争の動乱でフス派の敗北の結果、プラハ大学は再びカトリック神学とドイツ語による授業という形で再興されることになった。16世紀、宗教改革の時代になると、ルター派とカルヴァン派の影響も及んできて、プラハ大学では再びチェック人の自覚とカトリック教会批判が結びついた。カトリックとプロテスタントの共存はしばらく続いたが、新たにベーメン王(後に神聖ローマ皇帝)となったフェルディナンド2世が熱心なカトリック信仰をもち、プロテスタントの排除をはかったことから、1618年に三十年戦争が勃発、1620年のビーダー=ホラの戦いでプロテスタント軍が敗れた結果、ベーメンのプロテスタントは壊滅、プラハ大学も廃校の危機に陥った。
 そのころ力を及ぼしてきたイエズス会は大学を接収、今度はイエズス会が運営する大学として再出発することとなる。しかし、イエズス会に反発するカトリック教会は、イエズス会のプラハ大学乗っ取りを非難し、問題は複雑になる。

皇帝の大学

 こうして“プラハ大学は誰のものか”をめぐる対立が続く中、三十年戦争の末期の1648年、新教徒のスウェーデン軍がプラハを攻撃してくると、プラハ大学の教授、学生が結成した“アカデミー軍”が市民の先頭に立って、カレル橋の戦いでスウェーデン軍を撃退した。これを機に大学を皇帝フェルディナンド3世の直轄下においてイエズス会と教会が協力して運営する形とする気運が生まれ、プラハ大学は1653年、「カール=フェルディナンド大学」を正式名称とする大学として新たな出発をした。プラハ大学は“皇帝の大学”という発足時の性格に立ち返ることによって伝統を維持したと言うことが出来る。<このプラハ大学をめぐる対立については、薩摩秀登『物語チェコの歴史』第7章大学はだれのものか に詳しく述べられている。2006 中公新書>

言語問題

 こうしてプラハ大学は存続することとなったが、オーストリア帝国に支配される状況の中で、大学でも言語問題が生じてきた。公用語はドイツ語であり、学術研究はラテン語という体制は変わらず、チェック語は二次的なものとされていたが、ナポレオン戦争を境に民族意識、ナショナリズムが台頭する中で、プラハ大学でもチェック語の使用を認めよと言う要求が強まり、1880年の言語令でチェコとモラヴィアの役所と裁判所ではドイツ語とチェコ語の両方を用いることとなり、82年にはプラハ大学がチェコ部とドイツ部に分割されることになった。これは事実上、ドイツ人に不利であった。なぜならば、チェコ人はチェコ語とドイツ語が話せたが、ドイツ人はドイツ語しか話さなかったからである。結局この問題は、第一次世界大戦後にオーストリア帝国が解体され、チェコスロヴァキア共和国が成立して、チェコ語は初めて単一の公用語となってはじめて解決された。  
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ノートの参照
第5章4節 イ.学問と大学
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薩摩秀登
『物語チェコの歴史』
2006 中公新書