印刷 | 通常画面に戻る |

ニュートン

ニュートン
ニュートンと『プリンキピア』初版表紙

17世紀後半、イギリスで活躍した科学者で、万有引力の法則などを発見し、近代科学に大きな影響を与えた。

 17世紀イギリス科学革命を代表する人物。ニュートンが生まれた1642年は、ガリレオ=ガリレイが死んだ年であった。1665年にケンブリッジのトリニティ・カレッジを卒業したが、その年ペストの大流行(黒死病の14世紀以来、二度目の大流行)で大学が閉鎖されたため、故郷に帰り、実家で思索するうちに微積分法の着想を得た。その論文は1671年に仲間内に公表したが、広く一般には公開されなかった。そのため、微積分法の創始者は誰か、をめぐって同じく先取権を主張するドイツのライプニッツとの間で、長い論争となる。その後は「光と色の新理論」、万有引力の法則など、次々と新しい知見を発表し、1687年にはそれらを統一的な理論としてまとめた『プリンキピア』を発表した。ニュートンの明らかにした数学的方法によって、ケプラーの惑星運動の法則が数学的に証明され、ニュートン力学という体系が生まれた。ニュートンはその後、ロンドンで造幣局長官などを務め、1703年から亡くなった1727年までロンドン王立協会の会長を務めた。

Episode 「最後の魔術師ニュートン」

 ずっと後の1936年、ニュートンの残した膨大な手稿が競売にかけられ、有名な経済学者ケインズがその半分を落札した。ケインズはその手稿に目を通して驚いた。それはほとんどが錬金術に関するノートだったからだ。ケインズは「人間ニュートン」という論文の中で、「数学と天文学とは、ニュートンの仕事のほんの一部にすぎず、最も興味を引いたものではなかった。」と書き、「ニュートンは理性の時代に属する最初の人ではなく、最後の魔術師である」と述べた。ニュートンの17世紀は、近代科学の始まった時代であるとともに、古代・中世の残滓を引きずっている時代でもあった。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.44>

Episode ニュートンとリンゴ

(引用)いわゆるリンゴの逸話は、フランスの批評家ヴォルテールの創作であり、それが人口に膾炙したものとされている。しかし、問題の木がニュートン家の庭園に1820年の暴風で倒れるまで保存され、その木から椅子が作られたと語っている人もいる。またこの逸話は、ニュートンが地球の引力を発見した経緯を説明するものとして誤って理解されているが、彼が発見したのは、太陽と地球などの惑星や彗星の間、地球と月の間のように、あらゆる物体の間に普遍的に働く万有引力であった。<佐藤満彦『ガリレオの求職活動、ニュートンの家計簿』2000 中公新書 p.213>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
9章3節 ア.科学革命と近代的世界観
書籍案内

佐藤満彦
『ガリレオの求職活動、ニュートンの家計簿』
2000 中公新書