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チャーティスト運動

1838~48年、イギリスで盛んになった選挙権要求などの労働者の運動。

第1次選挙法改正で選挙権が認められなかった都市の労働者階級による、普通選挙を議会に要求する請願運動。指導者にはアイルランド生まれの下院議員オコナー、ロンドン道同社教会のラヴェットがいた。1838年に「人民憲章」(People's Charter)に普通選挙などの要求を盛り込んで誓願したので、彼らはチャーティストと言われた。

運動の高揚と衰微

 1839年と42年は特に盛り上がり、議会で審議されたが、共に否決された。労働者は請願行動にとどまらず、小規模ながら武装蜂起したり、ランカシャーなどでのストライキなどが闘われた。1842年以降は、イギリスの景気が鉄道建設ブームで好転し、運動は停滞するようになった。
 1848年にフランスの二月革命に刺激されて最後の高揚期を迎え、第三次請願運動が行われたが、その後は急進派と穏健派の対立などもあって運動は衰微した。 → 1848年革命

Episode インチキ署名簿、請願運動の限界

 1848年の第三回請願は200万近い署名簿を指導者のオコンナーを先頭に議会に届けようとした。しかし請願のデモ行進は15万人の大警備陣によって阻止されてしまった。やむなく馬車で議会に届けられることになった署名簿を点検したところ、そのなかには、獅子っ鼻、団子っ鼻、ヴィクトリア女王、ウェリントンといったインチキ署名が多数発見されため、オコンナーたち指導者の面目は丸つぶれとなり請願書提出は断念された。<村岡健次『世界の歴史』22 中央公論新社 p.405> 
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ノートの参照
第12章1節 ウ.七月革命とイギリスの諸改革