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アフガン王国

1747年成立のアフガニスタンの国。イギリスの侵略と戦う。

 アフガニスタン王国とも言う。1747年にアフガニスタン一帯を支配していたイランのアフシャール朝のナーディルが死んだのを機に、アフガン人(パシュトゥーン人)はカンダハール近くで部族集会を開き、アフマド=シャー=ドゥッラーニーを王に選び独立を達成、ドゥッラーニー朝(~1818,1839~42)が成立した。都ははじめカンダハール、後にカーブルに遷される。

イギリスとの戦争

 19世紀以来、ロシアの南下政策による侵出が顕著となり、インド支配への脅威と感じたイギリスはそれに対抗すべく、介入を強めた。アフガン王国はイギリス、ロシアの介入と、内紛のため安定せず、19世紀にはムハンマドザーイー朝(バーラクザーイー朝とも言う。1826~1973)に代わった。イギリスによるアフガニスタン侵略に対して、1838~42年の第1回アフガン戦争ではイギリス軍を破って撤退させたが、1878年からの第2回アフガン戦争によって、1879年にイギリスの保護国とされた。第一次世界大戦後のイギリスのアジアにおける後退を受けて、アフガン王国は独立の機会と捉え、1918年にインドに侵攻し(第3次アフガン戦争)、イギリスとの間で1919年にラワルピンディー条約を締結してアフガニスタンの独立を回復した。国王アマヌッラー=ハーンはその後ソ連に接近し、その援助で急速な近代化を進めたが、部族勢力の反発を受け、内乱が発生、1929年にはナーディル=シャーが内乱を鎮圧した。第2次世界大戦では中立を守ったが、ソ連の影響を受けた共産勢力が台頭し、1973年にクーデターによって王政は廃止された。
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ノートの参照
第13章1節 エ.イラン・アフガニスタンの動向