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紅軍

1927年から中国共産党が農村や辺境の拠点で組織した労農紅軍のこと。

 初めは在地の農民の武装集団である「土匪」とかわることはなかったが、中国共産党の軍事組織として次第にマルクス=レーニン主義を学習し、きびしい規律で農村の解放を進めたので農民の支持を受け、その支配地を急速に拡大した。
 1928年、毛沢東は、井崗山で紅軍兵士に対し、三大規律・六項注意を示し、厳格な規律の下、農民の支持を受けることとなった。29年4月には湖南地方を転戦していた朱徳の率いる共産党軍と合流、総兵力1万の「労農紅軍」の成立を宣言した。軍長は朱徳、政治委員が毛沢東で、「朱毛軍」ともいわれた。紅軍は蔣介石軍の圧迫を受け、瑞金から延安への大西遷(長征)を行い、日本の侵略軍とも戦った。日中戦争が始まり、第二次国共合作が成立すると、紅軍は形の上では国民政府軍蔣介石の指揮下に入り、八路軍および新四軍といわれるようになり、日本軍にゲリラ戦術によって激しく抵抗する。国共内戦下では人民解放軍と改称し、現在に至る。

三大規律・六項注意

 1928年1月、毛沢東井崗山根拠地で紅軍兵士に与えた軍の規則。
 三大規律(紀律)とは、1.行動は必ず指揮に従うこと、2.土豪から取り上げた金は公のもにすること、3.農民からはサツマイモ一本(後に針一本、糸一筋となる)取らないこと。
 六項注意とは、1.話しは穏やかに、2.売買は公平に、3.借りたものは返し壊したものは弁償する、4.寝るとき使った戸板は必ず元に戻し、敷きわらは束ねておくこと、5.やたらなところで大小便をしない、6.捕虜の財布に手をつけない、をいう。
 これはさらに整理され、八項注意としてまとめられ、人民革命軍の軍規となった。このような規律を持つ軍隊は、従来の軍閥の軍隊、あるいは国民革命軍と全く違って農民から徴発して苦しめるようなことはなかったので、その支持を受け、勢力を拡大することができた。
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ノートの参照
第15章3節 ウ.国民党と共産党