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第2次国共合作

1937年、日中戦争の勃発を受け、中国国民党と共産党が抗日民族統一戦線の結成で合意したこと。

抗日のための国民党と共産党の協力態勢

 1937年7月に勃発した日中戦争において、中国側の国民党と共産党が日本帝国主義に対する抵抗(抗日)で一致した戦いを組んだ。両者は第1次国共合作が崩壊して以来、対立を深めていたが、1936年の西安事件で旧東北軍閥の張学良が国民党の蔣介石を軟禁し、中国共産党との内戦停止と国共合作を強く迫った。蒋介石がようやく同意し、共産党の協議に合意した。
 それ以前の1935年にコミンテルンの方針により反ファシズム人民戦線結成に転換していた 、抗日民族統一戦線の結成を呼びかける八・一宣言を出していた中国共産党との間で協議が開始された。1937年7月の盧溝橋事件の勃発によって、全面戦争状態となり、日本軍の中国本土への侵攻が本格化したことに対し、第二次国共合作が成立した。

国共合作宣言

 9月22日に出された国共合作宣言は、まず共産党が発表し、翌日に蔣介石が談話を公表する形で行われた。共産党は声明で、「現在の大目標」として、
  1. 中華民族の独立・自由・解放、
  2. 民権政治の実現、
  3. 中国国民の幸福・愉快の生活の実現
を掲げた上で、そのため
  1. 三民主義の徹底的実現、
  2. 「国民政府の打倒と土地没収政策」の取り消し、
  3. ソビエト政権の取り消し、
  4. 紅軍の国民革命軍への改編
という4項目の即時実行を宣言した。これを受けて蔣介石は「この宣言は民族意識が一切を超える」ことを示すものとして評価し、「三民主義を奉じて救国に努力する者」に対して過去を問わない、と表明して第2次国共合作が成立した。<野村浩一『蔣介石と毛沢東』岩波書店 現代アジアの肖像2 p.269>
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ノートの参照
第15章4節 ウ.満州事変・日中戦争と中国の抵抗