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ヨルダン川西岸

1967年の第3次中東戦争でイスラエルがヨルダンの領土を占領。現在も占領を継続し、ユダヤ人の入植が続いている。

 パレスチナのヨルダン川の西岸一帯で、イェルサレムの東半分を含む。広さで言えば大分県とほぼ同じ5800平方km。1947年の国際連合パレスチナ分割決議ではパレスチナ人の国家とされていたが、翌年起こった第1次中東戦争ヨルダンが占領し、49年休戦協定でヨルダン領となった。
 1967年の第3次中東戦争イスラエルはこの地域に侵攻し、占領した。イスラエルはこの地をユダヤ民族が神から与えられた「契約の土地」であると主張して、積極的な入植を進めている。  2001年2月にイスラエル首相となったシャロン(第3次、第4次中東戦争を指導した軍人)は、ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地をパレスチナ・ゲリラから守るという名目で、高さ4~8mの壁を築き始め、その長さは、680kmに及んでいる。  なお、ヨルダン川西岸の領有権を主張(50年に併合宣言)していたヨルダンは、1987年以降のインティファーダの高揚が、ヨルダン本土のパレスチナ人に波及することをおそれ、1998年にヨルダン川西岸を放棄する宣言を行った。これを受けてパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長は、同年11月、パレスチナ独立国家樹立を宣言したが、1990年の湾岸危機でPLOがイラクを支持したためアメリカなどが承認せず、幻に終わった。2005年にガザ地区のパレスチナ人は自治が認められ、次いでヨルダン川西岸が焦点となっている。 → パレスチナ問題(1990年代~現代)

聖地へブロンでの抗争

 ヨルダン川西岸の南部にあり、西岸最大の都市であるヘブロンは、ユダヤ人入植者とパレスチナ人の激しい衝突の最前線となっている。ヘブロンの旧市街にある「マクペラの洞窟」はユダヤ教の聖地の一つで、イスラエル人の始祖とされるアブラハムの聖廟などがある。そこに635年ごろイスラーム教徒が侵入し、洞窟の上にイブラヒム・モスクを建設し、イスラーム教徒にとっても聖地となった。1994年4月にはイブラヒム・モスクで礼拝中のイスラーム教徒が狂信的な宗教シオニズムの信奉者集団に虐殺されるという事件がおこり、それを機にヘブロンはパレスチナ自治政府の管轄区域と「マクペラの洞窟」を含むイスラエル軍の管轄区域に分離された。「マクペラの洞窟」周辺には過激な宗教シオニストが入植を強行し、パレスチナ人とのにらみ合いが続いている。<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.68-70>
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