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パレスチナ分割案/パレスチナ分割決議

1947年11月、国連総会で決議されたパレスチナをアラブ人とユダヤ人の居住地にしたがって分割する案。ユダヤ人は受諾してイスラエルを建国したが、アラブ人は不満であったため翌48年、パレスチナ戦争が勃発する。

 第一次世界大戦後、イギリスの委任統治とされたパレスチナでは、移住したユダヤ人と先住のパレスチナ人との間の激しい衝突が相次ぎ、時にはイギリスの機関もテロの標的となっていた。このパレスチナ問題に手を焼いたイギリスは第二次世界大戦後、アトリー労働党内閣はついにパレスチナ放棄を決意し、成立したばかりの国際連合に「丸投げ」することとした。
 国際連合はパレスチナ問題の解決をめざし、勧告案を作成、1947年11月の総会にかけた。国連勧告案は、パレスチナを分割して、ユダヤ人とパレスチナ人の二つの国家を建設し、聖地イェルサレムは国際管理下におく、というものであった。アラブ諸国は反対、ユダヤ人側とアメリカ・ソ連の対立する2大国は賛成、という状況の中で採決された結果、賛成33、反対13、棄権10で可決された。この分割案は、パレスチナの全人口197万人中の約3分の1の60万人にすぎないユダヤ人に、パレスチナの56.5%を与えるもので、ユダヤ人にとって有利なものであった。
 パレスチナのユダヤ人は、かつてのバルフォア宣言が不十分ながら実現したものとして歓迎し、国連調停案を受け入れたが、1945年に結成されていたエジプト、イラク、シリア、レバノンなどのアラブ連盟はアラブ人の居住地が分割されることに強く反発した。こうして1948年にイスラエルが建国を宣言すると、アラブ連盟軍が一斉に侵攻し、パレスチナ戦争(第一次中東戦争)が勃発した。しかし、すでに軍備を整え、しかもイギリス・アメリカの支援を受けていたイスラエル軍に撃退され、イスラエルの建国は既成事実となった。

Episode レークサクセスの奇蹟

 国際連合総会のパレスチナ分割案採決の際、前日まで反対を表明していた12の中小国が当日賛成に回り、「レークサクセスの奇蹟」と言われた(当時国連本部はニューヨーク郊外のレークサクセスにおかれていた)。この裏には、ニューヨークを拠点としたシオニストグループ(その中心人物がベングリオン)のロビー活動があったといわれている。<藤村信『中東現代史』1997 岩波新書 p.19 などによる>
※アメリカがイスラエル支持に踏み切ったとき、トルーマン大統領は、「イスラエルは票になるが、アラブは票にならない」と言ったという。大統領選挙でアメリカ国内のユダヤ人票を期待していたのだ。
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ノートの参照
第16章1節 エ.南アジア・アラブ世界の自立