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シャロン

軍人出身で2001年からイスラエル首相。リクード党首から和平派に転身した。

 2001年~2006年のイスラエル首相。元は軍人で、第3次中東戦争第4次中東戦争、さらにレバノン侵攻で活躍し、国民的人気が高かった。イスラエルの対パレスチナ強硬派であるリクードの党首となり、2000年9月、エルサレムのイスラーム教聖域に立ち入ってパレスチナ側の激しい第2次インティファーダを呼び起こした。これは1993年のオスロ合意で形成されたパレスチナ和平の流れを押しとどめ、対立を激化させる引き金となった。

和平推進に転換

 その後、2001年に首相となったが、就任後は和平推進に立場を変え、イスラエル首相として初めてパレスチナ人の国家の存在を容認し、2003年のロードマップに合意、さらにイスラエルの占領地ガザ地区からの完全撤退を推進した。そのためリクード内で対立が生じ、シャロンは2005年11月、リクードを離党して中道政党ガディマを結成した。この結果、イスラエルは右派(強硬派)のリクード、中道派のガディマ、左派(和平派)の労働党という三党が争うこととなった。
 シャロン政権はガディマと労働党の連立を組み、和平実現に国際的にも期待が高まったが、2006年1月シャロン首相が脳溢血で倒れガザ完全撤退は頓挫した。その後、イスラエルではガディマのオルメルトが首相となったが、リクード(元首相ネタニエフが率いる)も力を増し、一方のガザ地区のパレスチナ人の中でも自治政府のアッバス議長の和平路線に反対する強硬派のハマスが台頭し、2008年末には軍事的緊張が高まった。
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