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ハマス

パレスチナのイスラーム原理主義政治集団。ムスリム同胞団を母体としているが、より過激に、イスラエルとの全面対決を主張している。PLOに代わって、パレスチナでの主導権を握った。 

   ハマス(ハマースとも表記する)とは、「イスラーム抵抗運動」を意味するアラビア語の略称。1987~88年にパレスチナで起こった自然発生的な民衆運動であるインティファーダが高揚する中で、ムスリム同胞団の流れをくむイスラーム原理主義者が中心となって結成された。ハマスは、それまでパレスチナ独立運動を牽引していたパレスチナ解放機構(PLO)が、非宗教的な民主国家の建設を目ざしたのに対して、イスラーム教のコーランに示された原理を実現させる、イスラーム国家としてのパレスチナの建設を目ざし、またPLOが結局はイスラエルと妥協し、共存する道を選んだのに対して、パレスティナの完全な解放を究極の目的として掲げた。 → パレスチナ問題(1990年代~現代)

暫定自治政府に対する批判

 1994年にヨルダン川西岸とガザ地区でのパレスチナ自治が開始され、パレスティナ人の代表としてPLOを実体とするパレスチナ暫定自治行政府が統治にあたることとなり、PLOの主流派を構成していたアラファトらファタハ幹部はチュニスからパレスティナに戻った。ところがファタハなどの帰還組(アウトサイダー)は、パレスティナに残っていた地元組(インサイダー)を軽視し、アラファトを中心とした幹部が非民主的な政権運営を行い、汚職・腐敗が蔓延するという事態となり、若い世代を中心にアラファト=ファタハに対する批判が強まった。そのようなPLO=アラファト=ファタハ体制に代わって民衆の支持を受けるようになったのがハマスであった。

政権獲得とガザ経済封鎖

 2006年1月のガザ地区自治選挙で、ハマスはPLO主流派のファタハに代わって第1党となった。ファタハはハマスとの連立政権樹立を働きかけたが決裂し、両者の対立は決定的となり、ヨルダン川西岸地区ではファタハが、ガザ地区ではハマスがそれぞれ実効支配を行うこととなった。こうしてパレスチナ自治区は二つに分裂してしまった。
 国際社会はハマスを過激なテロ集団と判断して、2006年以降、ガザ地区の経済制裁を発動した。そのためガザ地区では物資不足による生活困難に直面したが、エジプトとの国境に地下トンネルを掘って物資を調達するようになった。このような状況にもかかわらず、ガザ地区のハマスはイスラエルに対する徹底的な闘いを挑んでおり、イスラエル人に対するテロも辞さず、またミサイルを発射してイスラエルの都市を攻撃、さらに境界線を越える地下トンネルを掘ってゲリラをイスラエル領内に侵入させると言った戦術を採っている。

民衆の支持

 ハマスは過激な原理主義集団で武装テロ集団としか見えないが、実際にはそのような理解は当てはまらないようだ。ハマスはもともとムスリム同胞団の流れをくんでおり、彼らは教育や医療、貧困の救済、職業訓練、奉仕などのイスラーム教の理念である助け合いを実践する団体であり、その活動は現在でも続いている。その活動が、政争に明け暮れたPLOに飽き足らないパレスティナの民衆に強く支持されてたのだった。

ガザ戦争

 2008年12月、イスラエルは1週間にわたってガザ地区に対して空漠を行い、翌年1月から地上侵攻作戦を開始した。ハマスのロケット砲撃に反撃し、イスラエル南部の安全を確保し、同時にハマスのテロ活動を根絶するということが攻撃の理由とされた。それに対してハマスは、軍事部門カッサーム隊を中核に武装勢力1万5千が地下壕に潜ってイスラエル軍と戦い、損害を与えた。またハマスはこの戦争を、ガザを拠点に西岸地区の占領を終結させ、パレスティナを解放する戦略と位置づけ、穏健派ファタハ主導の中東和平交渉が欺瞞であることを国際的に明らかにしようとした。

ハマスの主張 「一国家共存」

 2008年1月28日夜、ガザ市街の中心部にあるイスラム大学がイスラエルの空爆によって破壊された。この大学はハマスの最高指導者で、小児科医でもあったタンティシ博士(2004年イスラエル軍によって暗殺された)が教鞭を執っていたハマスの牙城の一つだった。ジャーナリスト森戸氏は3月、同大学の理事ジャミラ・シャンティにインタビューして、ハマスの考えを聞いた。彼女は、日本や米国など国際社会がガザ復興援助の条件として要求する「二国家共存」構想について、それはイスラエル建国時のパレスチナ人の破局(ナクバ)がくり返されるだけだ、として反発し、ハマスが目指すパレスチナ問題の解決策は何かという問に対して「私たちは20年前の創設以来、1948年のパレスチナ分割決議に定められたパレスチナの全域にイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が仲良く平和に共存するイスラム国家を樹立する目標は変わりません」と、「一国家共存」構想を提唱した。<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.129-130>
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