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インド=パキスタン戦争/印パ戦争

1947年のインドとパキスタンの分離独立以来、47年、65年、71年の三次にわたって起こった国境紛争。現在も解決しておらず、世界の不安定要因の一つとなっている。

 双方の独立した1947年以降、インドパキスタンは3次にわたる戦争を展開した。第1次と第2次はカシミール帰属問題、第3次は東パキスタン独立問題をめぐって起こった。
第1次インド=パキスタン戦争 1947年 独立に際し、カシミール藩王国の藩王はヒンドゥー教徒であったのでインド帰属をめざしたが、住民の大部分を占めるイスラーム教徒が反発し衝突。インド軍、パキスタン軍がそれぞれ軍を派遣し軍事衝突となった。インド軍優勢のうちに国際連合の調停で休戦した。
第2次インド=パキスタン戦争 1965年 インドが実効支配していたジャンム=カシミールの完全統合を宣言したことにパキスタンが反発。背景にはインドが中印国境紛争によって中国軍と戦い、実質的に敗北したことがあげられる。カシミール地方の国境上で両国が武力衝突したた、米ソの国連での働きかけによって停戦が成立した。この停戦ラインによってそれぞれ実効支配を分けているが、双方ともカシミール全域の領有権の主張を取り下げておらず、国境問題は未解決となっている。
第3次インド=パキスタン戦争 1971年 パキスタンが東部パキスタン(ベンガル)の独立運動を弾圧。多数の難民が発生した。インドのインディラ=ガンディー政権が東部パキスタンに対して軍事援助を行って、独立を支援。インドが有利な闘いを進めて勝利し、その結果、東部パキスタンは独立してバングラディシュとなった。
 東パキスタンがパキスタンから分離した結果、インドとパキスタンの係争地点はカシミール問題に集中することとなり、両国はそれぞれの実効支配地域への軍配備を増強し、にらみ合いは続いている。

印パの核実験

 特に80年代には、インドにおけるヒンドゥー至上主義が台頭し、ナショナリズムを掲げたインド人民党(BJP)が1998年には政権を獲得するに至り、パキスタンでも軍事政権によるイスラーム化が進められた。1998年にインドが核実験に踏み切ると、同年、パキスタンが核実験で対抗、南アジアにおける核戦争の勃発が危惧された。

印パ対立の背景の変化

 カシミール地方では、再三、両国軍が衝突する事態となったが、一定の抑止力が働き全面戦争へのエスカレートは抑制された。その背景には、1991年にソ連が崩壊し、東西冷戦構造が解消されたことが挙げられる。それまでの両国の対立は、インドはソ連と、パキスタンはアメリカ及び中国と結びついてそれぞれ支援を受けるという構造があったが、ソ連の崩壊によってインドはアメリカとの和解に向かわざるを得なくなった。また、中国との関係も、中国で改革開放路線が進んだ結果として改善されていった。そのような中、両国とも核武装を維持することは経済を圧迫し、経済成長を阻害することが明らかになっていた。そのような中で2001年、9.11同時多発テロが発生、アメリカはイスラーム原理主義との対決を強めるため、インドとパキスタンの対立を解消する必要に迫られた。そのような情勢の変化から、アメリカはインド=パキスタンの和平に積極的に関わり、両国関係は次第に安定した。
ムンバイ同時多発テロ しかし、2008年11月にはインドのムンバイで同時多発テロが起こり、ホテルなどが襲撃され、日本人を含む160人が殺害された。インド当局は、パキスタンから越境したイスラーム過激派の犯行と断定し、パキスタン側に犯人の引き渡しを要求した。パキスタンはテロ実行犯を逮捕したが、インドへの引き渡しは拒否し、2015年4月の裁判では武装組織の司令官を証拠不十分として釈放した。インドは強く反発し、両国関係の悪化が危惧されている。
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