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マルタ島

地中海のほぼ中央、シチリア島の南に位置する島。16世紀にはマルタ騎士団領となり、現在はマルタ共和国となっている。

マルタ島 GoogleMap

現在はマルタ共和国として独立国であり、2004年にはEU(ヨーロッパ連合)に加盟した。「地中海のへそ」と言われ、シチリア島と共にフェニキア(カルタゴ)、ローマ、イスラーム、ノルマンなどが重層的に残っており、独自の文化を形成している。
 地中海世界では重要な位置にあり、早くからフェニキア人が入植し、前7世紀からはカルタゴの領土となった。第2回ポエニ戦争でカルタゴが敗北したため、ローマ領となった。紀元60年にはイエス=キリストの使徒の一人パウロが、ローマを目指して地中海を航海中、嵐に合ってこの島に漂着したという伝承がある。
 395年のローマ帝国の東西分裂の後は東ローマ帝国に属することとなり、ビザンツ帝国時代を経て、870年にアラブ人が侵攻しイスラーム化する。1090年にシチリア島のノルマン人がマルタ島を征服し、以後両シチリア王国領となるが、その後はシチリア島と共に神聖ローマ帝国(シュタウフェン朝)、フランス(アンジュー家)、スペイン(アラゴン家)などの勢力による争奪が続いた。 → マルタ島の位置

マルタ騎士団

 1522年オスマン帝国スレイマン1世によってロードス島を追い出されたヨハネ騎士団が、1530年に神聖ローマ帝国(スペイン王を兼ねる)カール5世からマルタ島を所領として与えられ、そのためマルタ騎士団と言われるようになり、マルタ島は騎士団国家となる。騎士団はバレッタに城塞を築き、たびたびオスマン帝国の海軍の侵攻を受けるが撃退し、1571年レパントの海戦ではマルタ騎士団も艦隊を編成して参戦した。

イギリス領となる

 近代ではナポレオンがエジプト遠征の途次、上陸してマルタ騎士団を追放。ナポレオン没落後はイギリス軍が占領し、ウィーン会議で成立したウィーン議定書によってイギリス領とされた。
 日本は第一次世界大戦に参戦し、地中海に海軍を派遣、マルタに寄港している。イギリス軍に協力して地中海のドイツ・イタリア海軍と戦うためであった。第二次世界大戦には、イギリス軍の要塞が、ドイツ・イタリア軍による包囲攻撃を受けた。

独立。ヤルタからマルタへ

 戦後、1964年にイギリス連邦内で独立、74年に大統領を選出して共和政となった。1989年にこの地でブッシュ・アメリカ大統領とゴルバチョフ・ソ連大統領のマルタ会談が行われ、冷戦終結宣言が出された。第2次世界大戦中、1945年2月のヤルタ会談ではじまった冷戦が、ここで終わったというので「ヤルタからマルタへ」といわれた。

Episode 『マルタの鷹』

 アメリカのハードボイルドの代表的な作家ダシル=ハメットが1930年に発表した『マルタの鷹』はハンフリー=ボガードが主人公の探偵スペイドを演じて映画化され有名になった。話は、マルタ騎士団の秘宝を巡る殺人事件。ロードス島を追われた騎士団が、毎年1羽の鷹を献上することのみを条件にカール5世からマルタ島を与えられた。騎士団は大きな財産を持っていたので、カール5世の恩情に報いようと、生きた鷹ではなく「宝石をちりばめた鷹」を造って献上した。その秘宝が現代に現れて、争奪戦が繰り広げられるというストーリーだ。<ダシル=ハメット『マルタの鷹』。翻訳にはハヤカワミステリ文庫に小鷹信光訳、創元推理文庫に村上啓夫訳がある。>

Episode マルチーズの産地?

 かわいらしい小型犬マルチーズは、その名が示すようにマルタ島が原産地だという。フェニキア人がこの島にやってきた大昔から飼われていたそうで、紀元前3世紀の記録にあるとか、エジプト王はマルチーズに金の器で食事を与えたなどの話がある<wikipedia情報>。もっともらしい情報は、ウィーン議定書によってイギリス領となったとき、2頭のマルチーズがヴィクトリア女王の献上品とされた、というのがあるが、ウィーン議定書締結は1815年で、ヴィクトリア女王の即位は1837年なので、イギリス領になってすぐに献上されたのではなさそう。またこのときは女王の手には渡らなかったものの、ドッグショーで紹介されたため、貴婦人たちに間で流行が始まったという<これもwikipedia情報>。ただし、『地中海事典』の「マルタ島」には、「愛玩用の犬であるマルチーズは、マルタ産との意味であるが、根拠薄弱とのことである」(樺山紘一)とある。<p.179>