中小農民の没落
都市国家ローマがイタリア半島を統一し、さらに地中海に属州を獲得していくかてでの、対外戦争の長期化などによって、大土地所有が進行して中小農民が土地を失い、多くが無産市民化した。それがローマ共和政は変質し、ローマ帝政へと移行する背景となった。
中小農民とは、言い換えれば「平民」の大部分であり、ローマ共和政を支えた市民でもあった。また重装歩兵として前4世紀から前3世紀にかけてのローマのイタリア半島統一戦争を支えてきた階層であった。前3世紀前半に始まったポエニ戦争は前2世紀の中頃まで続き、さらに並行して続いたマケドニア戦争などの戦争が長期化する中で、彼ら中小農民は耕地を離れ戦場に居続けたため、耕地は荒廃した。
属州からの奴隷の流入は有力者の大土地所有(ラティフンディア)経営を拡大させ、中小農民の農園はそれらに併合されていった。また、属州からの安価な穀物の流入は、農作物の価格を下げ、中小農民の利益を少なくすることとなった。それらの理由によって中小農民の自営農場は経営が困難となり、彼らの多くは土地を手放して都市に流れ込み、無産市民(プロレタリア)となっていった。
またローマの拡大は、それまで軍事力の一端を担っていたイタリアの同盟市にも不満がたかまっていった。同盟市の市民にもローマ人と同等であるとの意識が成長していった。特に彼らは東方で商人として活躍することで、ローマ人と見なされたことが、この傾向をいちだんと強めた。 → 同盟市戦争 帝国の首都ローマ ローマ帝国
属州からの奴隷と穀物の流入
ローマが戦争で獲得した海外領土は属州(プロヴィンキア)として支配され、そこから奴隷と穀物が大量に流れ込むようになった。属州からの奴隷の流入は有力者の大土地所有(ラティフンディア)経営を拡大させ、中小農民の農園はそれらに併合されていった。また、属州からの安価な穀物の流入は、農作物の価格を下げ、中小農民の利益を少なくすることとなった。それらの理由によって中小農民の自営農場は経営が困難となり、彼らの多くは土地を手放して都市に流れ込み、無産市民(プロレタリア)となっていった。
ローマ共和政の崩壊へ
このような中産農民の没落は、市民が重装歩兵となって国防にあたるという都市国家の原則が維持できなくなり、ローマの国防は有力者の私兵か、傭兵にゆだねられるようになる。そしてなによりも中小農民の没落は平等で自由な市民に支えられた共和政を動揺させることになる。前2世紀のグラックス兄弟の改革は、中小農民の没落を防止することを目指したが、保守派・元老院の反対で実施されず、その流れはさらに続くこととなった。ローマ拡大の反作用
ローマの拡大は、ローマ社会にさまざまな歪みや変化をもたらした。それはまず、ローマ市民の間の階層分化の進展であり、ついでこの点に関連した土地問題であり、さらにイタリアの同盟諸市に関することであった。(引用)階層分化とは、属州の拡大とともにじゅうぶんにその余得にあずかれる階層である元老院身分、および騎士身分と、長く家郷をはなれてカルタゴ、スペイン、そして東方での征服戦争に従軍した結果、凋落してゆく一般市民層との分化であった。その具体的なすがたが大土地所有制の発展と都市無産大衆の増大である。もともと、ローマが半島を平定する過程で獲得した土地の一部は公有地とされ、それを賃借する人々がいたが、彼らは占有していた広大な公有地を事実上の私有地とし、また中小の私有地を兼併してゆき、大土地経営をすすめていた。この階層の人が実は元老院や騎士身分層である。(中略)ローマの支配が東方に及ぶことにより、それまで東方で使用されていたアテネのドラクマ貨に替わり、ローマのデナリウス銀貨が使用されるようになる。大土地経営者は征服戦争と属州拡大によって得た資本をイタリアの土地に投下し、安価な奴隷を労働力とすることによって、ますますその力を伸ばしていった。
一方、ハンニバルに荒らされた土地を回復できずに手放し、無産者としてローマ市に流れこんできくるのが中小の土地所有者であった。この二つの層の分化に拍車をかけたのが、属州からの安い穀物の流入であった。都市無産大衆は有力者の子分となり、買収と人気とりの催し物によって動かされてゆく。ところが、持てる層といっても、属州においては、統治者としてこれにのぞんだ元老院身分と、徴税請負人として活躍した騎士身分との利害の対立ははげしかった。<長谷川博隆他『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学術文庫 p.214-215>
またローマの拡大は、それまで軍事力の一端を担っていたイタリアの同盟市にも不満がたかまっていった。同盟市の市民にもローマ人と同等であるとの意識が成長していった。特に彼らは東方で商人として活躍することで、ローマ人と見なされたことが、この傾向をいちだんと強めた。 → 同盟市戦争 帝国の首都ローマ ローマ帝国