イスラーム法/シャリーア
イスラーム世界で、ムハンマドの言行録である『コーラン』などに示された法体系。信仰上の守るべき行いから禁止事項、さらに社会的規範など幅広く含まれており、イスラーム法学によって体系化されている。
イスラームの法は、コーラン(クルアーン)に書かれていることを基本として、学者たちが作り上げていったもので、イスラーム教の信仰や儀礼のあり方から、家族や取引の決まりなどの日常生活にかかわる規範となっている。イスラーム世界ではムハンマドの言行録であるコーランとそれを補い、ムハンマドの伝承を集めたハディースとあわせた規範がイスラーム法とされ「シャリーア」と言われている。現在のイスラーム諸国では、近代的な法律が制定されているが、実社会では依然としてシャリーアのきまりは道徳的規範として生きている。その内容はイスラーム世界独自のものが多く、例えば、結婚は、男性は妻を4人まで持つことが許されること、飲酒は禁止されていることなどがコーランにも記されている。
イスラーム法によってムスリムの生活はきびしくしばられ、身動きできないかのような印象が一般に持たれているが、実際には「義務」と「禁止」のあいだに「しないほうがよい」とか、「したほうがよい」、「どちらでもよい」といった、ゆるやかな範疇が存在し、この部分の法が圧倒的に大きい。人々は各自の自由な判断で、けっこうのびのびと毎日の生活を送っている。イスラーム法は、きびしさより、むしろ人間に対するやさしさをもつものであり、弱い人間たちの「努力目標」という意味合いを持つものだと言われている。<片倉もとこ『イスラームの日常生活』1991 岩波新書 p.33>
シャリーアとは
シャリーアとは神が人間に示した「正しい生き方」を意味することばで、もとの意味は「水場への道」であった。コーランとハディース(ムハンマドの言行録)に基づき、イスラームの信仰内容、儀礼から、国家の行政、家族、身分、商取引などあらゆる分野で体系化されている。(引用)人間は、本来、弱いもので、シャイターン(悪魔)にそそのかされて、あやまちを犯しやすい。脱線しがちな生活や社会を、つねに正しい道へひきもどさねばならない。人間の弱さに対して、外から指針を与えようとするのが、シャリーアである。……イスラームは生活のすべてにかかわるものであるが、毎日の生活のなかで、なににもとづいて、どのようにおこなったらよいのか、具体的になににしたがい、どの道を歩んで暮らしていけば、弱い人間が悪魔の誘惑にうちかって、無事に天国の門に入ることが出来るのか。それを教えるのが、「砂漠のなかで水場にいたる道」を意味するシャリーアなのである。温暖な気候と、水に恵まれたモンスーン地帯とはちがい、砂漠の乾燥地帯では、それは、字義通りに「救いにいたる道」であり、「命(いのち)をう(得)る道」であった。<片倉もとこ『イスラームの日常生活』1991 岩波新書>
イスラーム法学
このイスラーム法の正しい解釈を行うための学問がイスラーム法学であり、いわゆる固有の学問の核心にあたる学問とされた。またその解釈を行う法学者がウラマーであり、ウラマーの中で裁判に従事するものがカーディであった。しかし、時代が立つにつれて解釈の違いが出てきて、いくつかの学派が生じることとなった。現在まで続いているのはスンナ派の正統四法学派といわれるハナフィー派、シャーフィイー派、マーリキー派、ハンバリー派である。これらの法学派はお互いの学派を認め合っており、論争を継続してきた。<黒田壽郎編『イスラーム辞典』p.173 などによる>カリフ政治とイスラーム法
正統カリフ時代以降のウマイヤ朝、アッバース朝においても、カリフがムハンマドの後継者であるという宗教的権威によって統治されたので、イスラーム法は基本法の役割を果たした。エジプトに新都カイロを建設したファーティマ朝は、イスラーム教徒のための学院(マドラサ)として、972年にアズハル学院を開設した。当初はシーア派であったが、アイユーブ朝が成立してからはムスリム多数派のスンナ派の研究機関となり、イスラーム法学の最高権威とされた。14世紀に小アジアで成立したオスマン帝国も、支配を周辺に拡大していく過程でイスラーム法を統治の基本とした。オスマン帝国は、1517年にエジプトのマムルーク朝を征服した時点で、スルタンがカリフの地位を兼ねるスルタン=カリフ制となったとされているが、そのような体制が成立したのはかなり後の18世紀のことである。シャリーアの実際
広くイスラーム法といわれるシャリーアにも幾つかの段階がある。最も厳しく禁止されていることを「ハラーム」といい宗教的に不浄なこととされている。ついで禁止ではないがしない方がよいこととして「マクルーフ」があり、どちらでもよいもの、許されるものを「ムバーフ」または「ハラール」という。ついでにいうと、義務ではないが、した方がよいことを「マンドゥーブ」または「ムスタッハブ」、必ずなさなければならない義務を「ファルド・ワージブ」という。イスラーム法によってムスリムの生活はきびしくしばられ、身動きできないかのような印象が一般に持たれているが、実際には「義務」と「禁止」のあいだに「しないほうがよい」とか、「したほうがよい」、「どちらでもよい」といった、ゆるやかな範疇が存在し、この部分の法が圧倒的に大きい。人々は各自の自由な判断で、けっこうのびのびと毎日の生活を送っている。イスラーム法は、きびしさより、むしろ人間に対するやさしさをもつものであり、弱い人間たちの「努力目標」という意味合いを持つものだと言われている。<片倉もとこ『イスラームの日常生活』1991 岩波新書 p.33>
Episoce なぜ豚を食べること、酒を呑むことはいけないか
シャリーアのなかで最も厳しく禁止されていることである「ハラーム」は、殺人や姦通はもちろんのこと、日常口にする食物にもその規定は及んでいる。その中で最も知られているのが、豚肉を食べてはいけないこと、酒を呑むことの禁止だろう。(引用)豚肉の禁止については、当時、豚が不潔な動物とされていたこと、豚肉が原因と思われる病気がアラビア半島で流行したことによるといわれている。しかし、旅に出て、食べるものは豚肉しかないというようなときは、それはムバーフとして許される。どんな場合も生命は、もっとも大切にされなければならないという。 酒は、イスラーム以前にユダヤ教徒やキリスト教徒によってアラビア半島にもちこまれ、とくにメッカでその弊害がいちじるしかった。そのため飲酒についての啓示は、クルアーンのなかでたびたびなされている。ナツメヤシや、ブドウからつくる酒を、神の恵みであるとしているくだりもあったり、酒の効用を認めている箇所もある。クルアーンでは、酒を厳格に禁じていたわけではないが、神を忘れがちになるものであるから、避けた方がよいとされている。<片倉もとこ『イスラームの日常生活』1991 岩波新書 p.31-32>